Wednesday, September 10, 2008

尊厳ある時に宗教不要!?

東京近郊にある葬儀社さん。
通常の葬式は平均380万円。
日本人は何とお金持ち。
ところが平均に入っていない数字があります。
50%が葬式を一切しないで、病院から火葬場への直送。
もっとも、死後24時間経たないと火葬できないので、一時冷蔵庫で保存します。
場所があればできるだけの冷蔵庫を作りたいというほど、大盛況。
ところがその料金7万円ほどを分割依頼してくる人が多いそうです。
やはり、今の日本は不況が続いています。
我が地方でも、近くこうなるでしょう。

これは当然、業者と仏教が、信頼されなくなって久しい状態を表します。
ではキリスト教会の信頼は?
初めから枠に入っていない。
不信だの信頼だの、それ以前の問題。

我々はキリスト教式と無宗教の音楽葬をやっています。
集会室で20人までで、寝台タクシーを使わず、自分の車を使えば、一時保存直送より安くもできます。
他の教会もやってくださるよう訴えてますが、まだしばらくは時間がかかりそうです。

Sunday, August 10, 2008

愛されるため産まれる

ネイティブアメリカンの言い伝えらしいのですが、
「人は大勢の笑顔に囲まれ、本人は泣いて産まれる。そして大勢の泣き顔に囲まれ、本人は笑顔で死んでいくのが理想」
おお〜!素晴らしい宗教。

「宗教」を辞書でひくと「根本の教え」
英和辞典で「レリジョン」をひくと「頑固にこだわる主義」といった意味。
そう翻訳されるからには、当然、日本語にも英語の意味があるわけです。

根本的な教えなら、「人はなぜ生きる」という基本的疑問に一言で答えられなければ、宗教ではありません。
ただの頑固。
宗教という言葉が、実にいかがわしいニュアンスがあるのは、レリジョンに偏っているせいでしょう
政治的後ろ盾をもった「権威」マジック的能力での「神秘」
大きな宗教団体は、この権威と神秘、それに伝統。
これは卑怯です。
なおこの「ひきょう」ということばは、欧米人に、なかなか理解できないそうですが。

わがキリスト教の宗教、一言で根本の教えというと
「人は人と神を愛し、愛されるために産まれ、生きる」
これは
「隣人を愛するのが最も大切な律法」とキリストは言われたからです。

これは私なりの結論ですので、クリスチャンの皆さん、チェックください。
これでいいでしょうか?
いいとなると、「十字架を信じて天国に行ける」「富、健康、権力が得られる」ことは、自己中心から出ていませんので、末端のことと言えます。
他宗教や他宗派と戦うのも、末端のことでしょう?
これを口にすると、教会では、かなりひんしゅくものですが。

自分の命より大切な家族が、あるいは自分が、この世から卒業するのは、今日、明日かもしれません。
やるべきことを果たした満足感からの笑顔と、愛されたあかしとしての涙に囲まれた最後とするため今この瞬間を大切にしたいと思います。

Wednesday, April 02, 2008

チラシ14,000枚終わりました

2枚目の原稿を手がけはじめました。
次回は10.000枚に留めます。
始めたころは、厳しい寒さと時々雨や雪にも遭い、結構厳しい一面もありましたが、昨日はさくらもちらほら、春を満喫しながらの、最終回でした。
自分の町の再発見、仲間や恩師の自宅発見、運動になり、食欲も増進して、意欲も増進したこと。
いろいろ得るものがありましたが、幾人かの方々との出会いも、大きな成果です。

結婚式を担当したご夫妻とも再会しました。
また葬儀問題は盛り上がりました。
業者への怒りを私にぶっつけた人もいました。
「質素にしたのに総額200万円!飲食費が30万円という請求書が来たので、親族がむちゃくちゃな飲食をしたと思っていたら、あんなつまらないお弁当が1万円!」
「看護師さん達が、きれいに遺骸を整え、お化粧をして、一番好きだった服を着せてくれたのに、葬儀屋が「湯棺は必要」と乱暴にもざんぶりやって、不気味な死に装束にして、ふやけて誰かわからなくなった。その間何度も制止したのに、やめてくれなかった。」
等々。
パニックにつけこむ業者が多いようです
死の準備をしている人は長生きします。
ぜひ冷静な日常から、必ず訪れる日に備えましょう。

おしらせ
4/14日に皆様の憩いと心身の健康を祈り、喫茶と健康関連のグッズ・食品販売の店を開店します。
    山陽電鉄網干駅ホームの隣です。
4/29 14:00 御津文化センター 御津のグループと演奏会を行います。¥1,000
   
こちらもご覧ください
http://plaza.rakuten.co.jp/zionsvjp/ 笛吹牧師結婚講座
http://music.geocities.yahoo.co.jp/gl/zionsvjp笛吹牧師山の詩
フルート教室:新在家教室(県立兵庫大西)
       &網干教室(網干高校北)月3回¥6,000 駅より送迎
'70年頃を歌う会:音楽や呼吸法の基礎を練習しながら。月3回会 ¥2,000
聖書講座無料です。出張可。問い合わせ:079-273-8531 090-3922-2995

Saturday, March 01, 2008

冷静に考えれば

葬儀の目的
それはいのちの大切さを実感して、今の自分を大切にする機会
そして遺族を「一人でない。孤独でない」ことを知らせ、慰め、再び立ち上がる力を養う。
そして慰霊
ここではずるい人のやりたい放題
考えてください
どんな霊能力があっても、人の魂を、左右できると思いますか?
迷える魂を救えるのは、神以外にありません。
墓石屋やオガミ屋にできるでしょうか?
金を払って、墓石や僧侶を雇えば天国に行けるのですか?
先祖供養が足りないからと、子孫を呪い祟る先祖がいますか?
自分が先祖なら、まずできの悪い子孫こそ守るでしょう。

人の弱みにつけ込み利益を上げることは、許せません。
大切な家族の死という混乱に乗じて、利益を上げることが許せません。

私の宗教家としての仕事は、教会形成や教会経営より、こういった大きな社会問題に風穴を開けること。
どうも多くの人が、自分で考えるより、「世間並み」が大切なようです。
その世間並みが、こうして携わってみると、みんな業者の「赤子の手をひねる」行為の被害者。

誕生石もスゥィートテンも宝石組合の決めたこと。
半返しも贈答屋の決めたこと
香典の本当意味は、大切な人の死を悼む時間、経済的心配を和らげるための助け合い。
業者がごそっと持ち帰ります。
みなさん黙って従います
なぜでしょう?

何と言っても冷静でおられる普段に死を考えることを避けることが災いしています。

Saturday, January 26, 2008

声かけてください

最近は、チラシ配布に凝っています
ヒルマン監督の成功パワーとキリスト教式結婚式、葬式を含む教会案内です。
14,000枚ありますので、網干校区はとっくに終わり、御津、朝日、広畑校区に入りました。
訪問のセンスですので、ネクタイを締めて、雨雪模様でなければ赤い自転車です。
どうぞどなたでも声をかけてください。
立ち話に盛り上がりましょう。
法的守秘義務がありますので、秘密は守ります。
世間話や用件がないのも楽しいですね

Tuesday, August 14, 2007

同じ思い

先日突然の来客がありました。
知人の商工会議所役員からの紹介と言われました。
私は専攻は雑学。職業は無給牧師なので、おいしい霞を吸っています。
時々「メシ食う」仕事も様々。
どの関連かと、とまどいました。
演奏依頼か里親の話か、癌になったので栄養相談か、保険代理店としての事故相談か。
聖書講座だとうれしいのだが。

どれでもありませんでした。
以前、葬儀屋さんを立ち上げたそうです。
今やその会社は市内でも№2か3に成長しました。
ところがその方は創立者なのに早々と手を引いたそうです。
その理由は
「普通の葬儀屋になってしまった」
「無駄な金がかかりすぎる」「遺族のパニックにつけこんで」
「遺族が地区で親しくしていた花屋さんや仕出し屋さん等の関係が悪化させる」
と怒りに満ちておられました。
そして、いま改めて、営利を考えない理想の葬儀サービスを始めようとされています。

ほとんどが同じ考えなので、大いに意気投合して盛り上がりました。
頼もしい人ができました。協力してくれそうです。
みんな、同じ事を考えています。
大きく動くのが近い気がします。

Monday, July 30, 2007

大切なものは失う№2

6歳の息子が8/2の花火大会を楽しみにしています。しかし台風が近づいてます。
そういえば、今は20代後半になっている実子の娘が幼い頃、せっかく花火に行ったのに、怖がって目を塞いでいたのを楽しく思い出します。

花火は一瞬の美です。
フルートの仲間に花火師がいますが、彼らの数ヶ月の地味な仕事も一瞬にして、燃え尽きます。
すっかり頼もしく育った娘達。
でも幼いころのかわいさは失われました。
20年の歳月も花火のように一瞬の感じです。

2歳で我が息子になったころの写真をみると、その時ならではの何ともいえないかわいさがあります。
逞しく育ってほしいものの、今のかわいさのままであってほしい。
ぜいたくにして、不可能な思いです。

近所にある大覚寺の中西師が法話で一期一会を語っていたのが思い出されます。
「毎日会える人でも、昨日の人ではなく変化した人。たった一度の出会いを大切に」
本当にその通り。

戦争を生き抜き、食べ物もない時代に我々を守ってくれた母もすっかり年老いました。
いまだもって親不孝を繰り返す毎日。
失う前に何とか大切にできるよう励みたいのです。

Sunday, July 22, 2007

大切な物はかならず失うべきもの

今、たまたまNHKで、手塚治虫の「火の鳥」をやっています。
冒頭に「人は産まれ死ぬ。しかし、人はそれを受け入れない」

大切なものはみんなタダ
一番大事ないのちはタダでもらっていつか返さねばならない。
いのちより大切な我が子は、すぐに自立独立させて、離れなばならない。
夫婦のハネムーン時代は束の間(!?)。いつかは死別ないし生別。

日本では、へその緒を大事にする習慣があります。
親子の関係を大切にする象徴でしょうか。
二人の娘がいますが、そのへその緒は病院の手違いでありません。
他に幾人かの里親となった今、そのことは特に気になりません。
血縁なくて法的にはタダの同居人ですが、親子です。
お互いに決して裏切ることのない、相思相愛!?
人として、最も大きな喜びであり幸いなのです。

どこか外国では、子供が初めて履いた靴をメモリアルに大切にする習慣があります。
大切な子供だけど、いずれは自分の足で人生を歩むことを示します。
親は靴を見るたびに「決して自分の私物ではない」と自分に言い聞かせます。
娘をヨメに出す父親の喜びと悲しみを常に味わいます。

ヨメ姑問題になると、このへその緒はとんでもない働きをします。
「この紋所が目に入らぬか。息子と私は一体だったのよ」
親離れ、子離れができないと夫婦破綻します。

大切なものは必ず失います。
だから今を大切にできるのです。
葬儀の準備は、今を大切に生きる上手な方法です。

Thursday, July 19, 2007

8/4ボランティア葬儀学習会

アスコン(明日を語る播磨地区懇談会)例会8/4(日)10:00 網干市民センター3F
「ボランティア葬儀の提案」
発題は私、木下春樹

先日このグループと、姫路市内の廃棄物処理場の見学会に参加しました。
私は原則、何にでも参加します。どうぞ誘ってください。
ビンボなので、参加料が高いのと、予定が入っている時は物理的にむりですが。
いかがわしそうなネットワークビジネスでも、怪しげな新興宗教でも、とにかく当事者から直接聞いてみないとわかりません。
電話セールスでも丁寧に聞きます。
妻が「どうせ買えないのに、思わせぶりな。一番不親切。」と叱られます。

アスコンはすばらしいグループでした。
可燃物のリサイクル工場、紙のリサイクル、下水汚泥の最終処理。
次々回るうち、打ち解けて、初参加の私も大きな顔をして発言します。
「人間の最終処理も考えませんか」
「もっと尊厳あるものはできないか」
「そういえば、父の葬儀はつまらないものなのに、200万円かかった」
「なんとかならないのか」
「様々なパターンでも命の尊厳を感じさせるものとは」
と盛りあがり、順番が回ってきました。
どうぞお越し下さい

前日はミニコンサート
2007,8/3 14:30 木下音楽教室(網干高校北)079-273-8531
      16:30喫茶花ポシェット(網干市民センター北)079-273-6224
        ソプラノ:中塚洋子  ピアノ:稲積真由美
8/9 銀羊苑 関係者

Sunday, March 04, 2007

緊急に対応できました

先日は、102才の方の葬儀でした。
親族だけということで、午後に連絡があり、その夜に通夜、翌日に葬儀ということ。
これまた忙しい。
法手続にしても役所はすでに閉まっている。
柩を載せて車を飛ばすつもりが、大渋滞。
牧師婦人が、車の中から携帯で火葬場の予約や、関係者に次々連絡。
電池が切れて、私の携帯を使うものの、これも残りがあやしい。

その間に病院から遺骸を運んできた葬儀屋が食い下がっています。
我々が行くつもりだったのに、発注もしていないのに、病院指定と当然の顔をしています。
病院指定でも、誰が支払うのですか。
いかがわしい癒着をしているようです。
素人がやると法律違反だと言わんばかりで、悲しむ遺族を動揺させます。
教会がみなやりますと言っているのに、まだ食い下がる。
今回の葬儀経費の大半がこの移送費でしょう。
タクシーだったら数千円で済むのに。

暗くなってやっと我々が到着。担当牧師も関東から、出張の仕事を何もしないままとんぼ返り。
2万円で花を買うと、鮮度の少し落ちた在庫をおまけしてくれました。
婦人たちがそれぞれの花器に生けてくれました。
感動しました。
業者の整った祭壇はきれいです。
しかし、心を込めて生けたのが、いくつも並んでいます。
見劣りしない上に、商品では絶対できない感動があります。

例によって私のフルート演奏。
貧乏な中で親に高い楽器を買って貰って、音楽大学にまで行かせてもらったのに、まだ元の取れていない感じです。
でもこんな時にお役にたてば、価値もあるのかなと思うこのごろ。

その他には、私は付いている以外、ほとんどなにもしなかったようです。
牧師夫妻で、ほとんど処理されました。
慣れておられないので、緊張もあったでしょう。お疲れさま。
もうすっかり自信を付けられたようです。
頼りになる教会がまた一つ増えました。

Saturday, February 24, 2007

ボランティア葬儀の提案

葬儀費用は全国平均280万円、いくら質素でも50万円以下では不可能です。
知人の米国人はこの値段に「クレージー!」と言いました。
確かに、人の死という厳粛な事実は金銭にかえられません。プロはプロだけの仕事をしてくれるでしょう。
しかし多様化の時代に、もっと選択肢があってもいいのではないでしょうか。
そこで有料(無料)ボランティア葬儀を提案いたします。

すでに5万円予算から大規模まで、手作りでの暖かい式をやってきました。
ほんのしばらく前は、どこでも町内会長さんが、てきぱきとされていましたが、徐々にノウハウを無くしています。会長さんや近所の方々は仕事まで休んで、大きな負担をかかえるので、業者任せになってきました。
みんなで涙を流しながらのお手伝いこそが慰めになるのに、お金を払って事務的にやってもらうのでは手抜きと言えます。
業者は従業員を雇い常に待機していなければなりません。待機も経費がかかります。ボランティアなら待機料はありません。

今のところ我々の立場上、キリスト教式か、無宗教しかできません。仏教、神道関係者の参加を歓迎します。
無料でも、引き受けてくれる教会をリストアップしています。
まだまだ、「自教会の会員のみ」という教会も多い中、「非信者でも、柩や有料ボランティアの費用も教会が負担して、完全無料を目指す」と言ってくれた教会もありました。「悲しむ人を苦しませてはならない」と。…感動でした。
牧師や教会役員を中心に、ボランティアも、集まりつつあります。
キリスト教の慰霊は「神に取りなす祈り」を中心とした礼拝です。音楽が活躍します。
天国への救いはキリストの仕事ですので完璧です。故人の精進でもなければ、遺族や聖職者の供養技術ではありません。
無宗教式でも、「葉っぱのフレディ」や「千の風になって」のように、さわやかな、希望に満ちたものも可能です。
どちらにしても、遺族、参列者が、悲しみを共にすることで、孤独と絶望から立ち直るきっかけを目的とします。
本来の姿に立ち返りましょう。

こちらも覗いてください。
笛吹牧師山の詩   http://music.geocities.yahoo.co.jp/gl/zionsvjp
笛吹牧師の結婚講座 http://plaza.rakuten.co.jp/zionsvjp/
網干キリスト教会:
フルート教室:網干教室(網干高校北300m)&新在家教室(県立兵庫大学西、姫路恵教会内)
                     090-3922-2995    

Sunday, February 11, 2007

充実の中の虚しさ

70年代前半、私は音楽三昧で、本当に楽しい、充実した時期でした。今だって楽しいですが。
これからは徐々に体が衰え、持病も増えて苦しみながら、人生を終えていくわけです。
でもこの時代の思い出だけで、「楽しい人生だった」と結論づけられそうです。

朝から夜9時10時まで、警備員さんに追い出されるまで、練習のため、学内にいました。
授業は「高い授業料の基とらねば」とあらゆる科に出ました。
声楽科だけの合唱授業にも、男声不足のどさくさで参加して、N響第9に毎年参加しました。
個人練習、仲間と合奏、図書館でレコード鑑賞。
四千人の学生、その八割が女子学生。美人は豊富。
伴奏ピアニストは、本番には、とにかくうまい人。練習ピアニストには、なるべく美人。などど最高に贅沢。
卒業してからも、さらに留学して学びたいと、ドイツ語学校に通う。そこで他の分野の方々との交流も楽しかった。
演奏の機会もたびたびあり、それなりの出来で良い評価をもらって、この上ない充実感に満たされた日々でした。

でも大きな喝采をもらった演奏会が終わり、やがて一人になり、充実の余韻にひたる中で、ふと心に大きな隙間があり、風が吹き抜けていきます。
「なんだこれは!」
こんなに充実しているのに、この虚無感はなぜ?
そこに親しくしていた彼女が去り、高校でのコーラス仲間が死亡し、中学からの吹奏楽での仲間も。
2人とも、私が音楽の道に進んだことを喜んでくれて、「初コンサートはぜひ地元でやれ。応援する」と言ってくれた人。
虚無感の心の穴は最大の大きさになったようです。
そういえば、太宰治、三島由紀夫、川端康成。自殺した文豪はその前日まで、ばりばり充実した仕事をやっていた様子。

吹奏楽仲間のマツイは、たまたま帰省した時に訪ねると、潰瘍で入院後の自宅療養中。
「これをやるから読め」と小型聖書をくれました。
それから数ヶ月後に逝ってしまった。
遺品となった聖書を、涙とともにパラパラと読んでいると
「神はその一人子をくださるほどに世を愛された」ということばが、目につきました。
意味はよくわかりません。
でも宇宙と世界をつくられた方が、私を愛して下さっている!
そのとたん、空虚な心の穴に、泉のようにあたたかいものが湧き上がり、穴を満たすどころか、溢れてくる実感がありました。
パスカル言うところの
「神によって作られた人間は、神によってしか満たされることのない空間がある。」
その空間が、満たされた実感でした。

Friday, February 02, 2007

心を満たす神。その仕事

宣教師は心の中心を聖霊が満たしているのに、本人が意識してなかったわけです。
悪霊を追い出る能力があることを自分自身が驚きました。

我が遠縁にも、霊能力がすぐれている人がいます。その師匠はさらに見事です。
他府県で高速道路が建設され、無縁墓が撤去されそうだと聞かされました。
それは何代も前の親族が忘れ去られた悲しみを叫んでいるというのです。
行ってみると、はたして親族らしい名前が刻んでありました。
また他の死んだ親族の迷える魂の状態を克明に教えてくれます。
どんな親族がいるかは、まったく知らせていないにもかかわらず。

我々の話題が出ないので、こちらから聞いたそうです。
「姫路の木下一家はどうでしょうか?」
「何も見えない。バリアーがかかっているみたい」
「クリスチャンファミリーです。」
「なんだ、それでか」
驚きました。
私達本人より、何だかいかがわしい思える霊媒師のほうが、キリストの偉大さを理解している!

守るべき子孫を祟るような祖先。
前に述べたように、ニセものですが、本物とすれば、かなり歪んでいる。
お盆には、地獄の釜のふたが開いて、先祖が帰ってくる。
ということは、葬儀の際の、回向、供養は無駄だったことになります。

怪しげな霊能力者の徐霊は怪しいものです。
もっとひどくなりそう。
人に魂を扱うなどと、そんな力があるわけがないのです。
私も牧師の端くれとして、死者を天国へ導く「とりなしの」祈りをします。
だからといって、それがかなうか否かは随分あやしい。
私の力量ではどうしようもありません。
天国への救いの仕事をしてくれるのはキリストです。
当然それは、完璧です。

死後は神に委ねる以外の方法はありません。
ですので、生きているうちに、険しい顔が優しい顔に変わるのを見たい。
すでに、この世において、天国=神の国の籍を持つのを見たいのです。

Monday, January 29, 2007

こころの空間

あるキリスト教宣教師のお話
この宣教師は、理屈っぽく、哲学的な団体に所属しています。
インドネシアに着いたとたん「ちょうどよかった、悪霊に憑かれて、暴れている人がいるので来て下さい」
「そんなこと言われても、私は理屈の講義しかできません」
「なに言ってるのですか、宣教師でしょう。頭に手を置いて、イエス様の名によってお祈りください」
「それほど言うなら、やってみます。あれ出来ちゃった」

「私達は聖霊の宮である」(新約聖書)
神によって作られた我々は、神でなければ、満たされない心の空間がある」(パスカル)
その空間は、神の聖霊が入っているか、はたまたいかがわしい霊が宿っているか。
悪霊が入ると、人格が壊れたり、(精神病とは違う症状)霊感や特殊能力が出たりします。
テレビでしか見たことがないので、私もいきなりは、信じられないのですが。
ほとんどの人は、その入り口を、「自我」が、がっちりとふさいでいます。

指導者のない、中途半端な宗教修行は、悪霊を心に招いてしまいます。

十字架の死が救いになるという、桁外れにいかがわしいことが、理屈抜きに信じられるのは、理性を放棄したか、聖霊がしっかり入っている証拠です。
キリストの名によって、信じられないほど大きな力が出てきます。

Thursday, January 04, 2007

お化けの話し2

「お化け」などと、ちょっとからかったような、言葉を使っています。
当然、ご先祖だったら、からかっては失礼です。

先祖も私たちも、神に作られ、神と歩み(ほとんどは一人身勝手に)神のもとに帰るわけです。
そこは天国か、はたまた地獄か。遠いところです。
近くで、いつまでも、うろうろしていません。
うろうろしているのは、先祖に化けた低級悪霊です。
そんなもの尊重する必要がありません。

私はお化けを見ることができませんし、見たくもありません。
でも不思議な話は色々聞きます。
ばかばかしいものがほとんでです。
でも個人情報を知っているお化けは「やはり」と思いやすいでしょうね。

音楽学生の時、ある友人は(お化け見えるのは、なぜか女性ばかり)
「親戚の葬儀に出席しているとき、なにかがフッと私に入ってきました。
前に並んだ初対面の人達の名前が、急に全部わかりました。故人が入ったことがわかりました。」
とのこと。

隣の町の魚屋さんが、ある時この能力が突然ふりかかりました。
いまや広大な敷地と大神殿を持ち、全国規模の宗教団体となりました。
それを見ながら、霊能力のある人は、言います。
「昼夜問わず、お化けのうるさいのと対応して、うんざりしているのに、わざわざお金払って修行して、能力を身につけ、うんざりしたいのかしら?」
随分単純。

オームの麻原なんたらも、多少の能力があったかも。
蓮華座組んだまま空中に浮かべば幸福になれるのかしら?幸福と関係ないと思うけど。
いかがわしいテクニックに感心して、人の生命を奪い、人生を無駄にした愚かさは霊能力のため。
お化け信仰の結末。
次回、キリストの御名により、悪霊を追い出した聖書の記述にはいります。

Wednesday, December 27, 2006

お化けの話し

「祖先を粗末にしているから今の不幸がある。そこの石材屋さんと相談しなさい」
インチキ霊媒師、占い師の、ぼったくり常套手段。
我が妹の答え。
「確かに粗末にしています。死んだ祖先は勿論のこと、生きている祖先も、かなり粗末にしています」
占い師は二の句が継げない。
こんな娘と私ドラ息子とでは、母もぼけてはいられない。
究極の親孝行かも。

祖先は子孫を守るのが仕事です。
墓の作り方が悪いといって、どうしてたたるのでしょうか。
自分が祖先の立場になって、孫にこんな事を言う占い師がいたら、ホントに占い師にたたってやりたい。
なんと失礼な。
たたられるものなら、毎日殺している牛豚鶏魚にたたられます。
食べ過ぎると病気になるのでやはりたたられてるのかも。(笑)

いままでにお化けと会っている方々と多く会いました。
私は見たことはないのですが、お化けは居るのかもしれません。
少しずつ、そのお化けの話しを、キリスト教的考察をしながら紹介します。
死は恐くないのです。お化けも恐くないのです。
お化けはひったくりも痴漢もしないです。
生きている人のほうがよっぽど恐い。

うれしいニュース

ここ数日、優しい方々との出会いが多くあり、今年も大ボンビ(貧乏の楽隊用語)一年ながら、喜びの年として締めくくれそうです。
キリスト教式葬儀普及相談のため、何人もの神父や牧師と話す機会がありました。
最初は「信者でもない人の婚葬式は、神への冒涜。信者さん達の機嫌を損ねる」と言われた先生も、すぐにわかったいただきました。
それどころか、

「我が教会での葬儀は一般の方々も含め全て無料でやります。
柩などは教会が負担して、完全無料です。
それが人生最大の悲しみにある人への当然の配慮です」
「タダというのは寿司屋の時価と同じ一番高くつきそうな感じですが」
「実際経費がかかるので、木下先生、安く柩を手配してください。献金は受け付けますが、10万円以上は受け付けません」

なんとこんな答えをくださった教会がいくつかあったのです。
いくつかですよ。例外でないのです。
「いずれはそうしますが、今のところ消耗品経費だけは負担下さい」という教会は多かったです。

持ち慣れないお金は人を堕落させる要素があります。
マクドナルドの故藤田田社長は
「お金は何に使うのかを決めてから、稼ぎなさい。
若くして、思わぬ大金を手にすると、酒と女に溺れて健康すら失う。
年をとってからだと、溺れたくても、体力がないので、健全な使い方ができる。」
とオチも入れて語ります。

ずいぶん昔から「葬式仏教」と言われるようになりました。
個人的に多くのすばらしい僧侶や仏教徒と出会いました。尊敬しています。
素晴らしい宗教が、なぜここまで軽蔑を受けるようになったのでしょうか。
かつては政治的、歴史的、学問的権威を誇っても、現在は葬式収入と観光収入に頼っている現実です。
僧侶が病床の人に人生を語ろうとしても「まだ生きてる、来るのが早い」と嫌われます。

キリスト教式が普及すると、「貧乏葬式教会」となる危険は大きいでしょう。
葬儀で教会運営が出来るようなると、生きている人達への、伝道やケアーがおろそかになる可能性があります。
ヨーロッパの教会がすでにそうです。
やはり「無料」で持ち出しでなければならないのです。

献金は義務でなく権利です。
「受けるより与える方が幸いである」その幸いを得ることができる信者の権利です。
経費を支払うマナーは必要としても、信者以外に献金する権利はないのです。

死への恐れは元気の証拠

「男性更年期」がかつて話題になりました。書籍名は忘れました。
女性ホルモン、エストルゲンが減少して更年期障害があるように、男性ホルモン、テストステロンが年とともに減少して、更年期が起こる。その特徴は、意欲喪失。
金銭欲、名誉欲、権力支配欲、性欲なども減少する。
生きたくもない死ぬことも恐ろしくない。
俗に言う「丸くなった」

著者は続けます。
「ある宗教は欲望の減少、死の恐怖克服を目指して厳しい修行をするけど、そんなもの去勢手術すれば簡単。
宗教などというもの、そんなレベルの低いものですか」
昔の中国に宦官と言われる高級官僚がいたそうです。
タマ抜くことで、皇帝のハーレムを荒らすこともない。
小金に汚くても、皇帝のイスをねらうほどの欲は持たない、ということだそうです。

人の生理的解釈は、なんと身も蓋もない。
厳しい修行をしなくても、年取れば自動的に死の恐怖はなくなります。
あるということはまだ元気。政治家はかなり老人にになって、まだ権力欲豊富。元気ですね。うらやましい。
それだけに、若年の死は悲しいです。

Thursday, December 21, 2006

帰るところ

沖縄のクリスチャン、カミヤさん。
東京にいた時、ホームから線路に突き落とされたそうです。
電車が入ってきて、必死で避けたものの、左手が根本から切断しました。
祈りました「神様今まで、左手をありがとうございました。今お返しします」

驚きました。
傷の痛み、無くしたものの大きさ、加害者への恨み。狂乱しても当然です。
なぜこんなに強いのか。

我々は神によって命を与えられました。
そして肉体を与えられ、この世に生まれました。
肉体は古くなり、少しづつ神にお返ししながら、やがて肉体すべてを返して、魂も帰らなければなりません。
私も、足腰が弱まり、好きな山も、行けるコースが限られてきました。
なにより、意欲がどんどんなくなります。
まだ新聞読めるけど、目も衰えた。
これから生への執着も徐々になくなることでしょう。

我々は神によって生まれ、神と共に歩み、神の元に帰らなければなりません。
ところがこの世では、神を神にしないで、自分を神にしてしまいます。
神と離れ、糸の切れた凧になりました。
自分勝手がしたいからです。
「厄除け」だどと不幸は他から来るように思っています。そこまでも自己中心。
他からの不幸は戦えば勝利できます。努力で何とかなります。
でも内からの不幸には負けるのです。
自分のしたいことができず、やめようとすることが、やめられません。
「罪の奴隷」となりました。
どのツラさげて、神のもとに帰れましょうか。

自分を産み育ててくれた親は、どれだけ自分を愛してくれているでしょうか。
なかなかわかりません。
自分が親になったとき、やっとわかります。
今クリスマスです。
我々を作った神は、我々をどれほど愛してくださっているのでしょうか。
なかなかわかりません。

神はプレゼントをくれました。
罪の奴隷から解放してくださるのです。
一人子イエスキリストが生まれ、十字架で我々の罪をすべて代わってくれました。
いうならば一方的な愛をもって罰金を払ってくれたのです。
神との和解、仲直りができました。
罪は許され、神の前に喜びを持って立つことができます。
死は恐くないのです。

Sunday, December 17, 2006

死は恐くない2、いのちの出どころ

いつから人生に目的も意義もなくなったのでしょう。
すべては偶然と言う悪い宗教に毒されています。
ここからひく人も多いでしょう。常識とは違いますので。
進化説信仰を信じているからです。
進化説(進化論とも言えないほどお粗末)は科学ではありません。信仰です。
ダーウインは科学方法論も知らない神学者であって、生物学は素人。ガラパゴスでめずらしい生物をチラッと見ただけ。
「泥の中からうなぎが生まれる」といった錬金術発想の延長線。
科学的動機でなく権力者への反抗。
そして「科学がすべてを解き明かす」といった思い上がりは、ニュートン力学の延長。
ニュートン自身、まだ錬金術師。
20世紀量子力学時代になって、湯川秀樹博士は「科学で分かることは、牛一頭のうち、毛一本もない」

本を読んでるだけの学者もどきは別にして、毎日生命に接している生物学者は進化説を信じません。
絶妙なバランスで生きているので、わずかな変化でも生きていけないことを実感します。
「私は進化説を認めないが、他の学者は流行に逆らえない」(日高敏隆京大教授)
以上科学論争であって、宗教vs科学という場外乱闘に持ち込まないでください。

ここから宗教以前の議論
死を考えることは生命を考えること。
人間の、浅はかな頭で分かるような小さなものではありません。
毛一本すら分からず、牛全体を理解しようとすることが、無益なことです。

命をいただき、その源である方と共に生き、また源に帰っていく。
「主は与え主は取り去る。主の御名はほむべきかな」ヨブ
どうすれば神を見出し、信頼し、共に歩めるか。
人間鵜呑みできるほど、素直ではありません。
ここから宗教。
少しずついきます。お付き合いを。