日本映画最大傑作の一つはゴジラですが、一作目の最後は「原爆実験を続けると次のゴジラが現れる」と不気味なセリフで終わり、後味を残します。
ハリウッドで編集されると、単なるハッピーエンドとなり、スッキリと終わります。
でも安易なハッピーエンドは、なんだか安っぽく感じるのは私だけでしょうか。
宗教は、「良いことをした人は天国、悪い人は地獄」と単純なものがウケが早いようです。もっと露骨に、「信仰熱心で寄進が多ければ、健康や経済がよくなり、不熱心は不幸になる」となると、安っぽく多くの人が集まる宗教ができます。
ヨブ記は、信仰熱心で最高に良い人が、だれより苦しい目に会うという、理不尽きわまりない話です。
1章2章では、苦難の最中ながら「裸で生まれ裸で死ぬ」「神は恵みをくださるから災いも受け取るべき」と、単純でも人類として最高の悟りの境地に達したヨブの聖人と言える崇高な姿があります。見た目はおぞましく醜い容姿でありながらです。
最初にヨブ記を教えてくださった牧師は「まだヨブ記の最初ということは、この程度のことは並のクリスチャンなら誰でも達する境地」と驚かせてくれました。
ヨブ記本論は42章まで続くわけです。
そのほとんどは、ヨブを思う親友とヨブの議論です。最後に神がことばが発せられ、正しいと思われたことばを全て否定されます。特に因果応報的考え方を否定されます。
神に苦しみをぶっつけたヨブは正しいとされます。
じつに深い真理があり、それを「神の深さ広さがあることは絶対悟れないと悟ること」を求められます。
ところが最後は、「前の倍以上の財産ができて、家族も増えて、娘は美人」と、まるで、ハリウッド映画以上の、安っぽいハッピーエンドに、少しがっかりもします。
ところで、我々の現実生活は、映画のストーリーではありません。
はっきり言って、地位も名誉も富も長寿も家族の幸いもほしい。
そして神は祝福として、それらを必要に応じて、お与えくださいます。
我々は、年中高尚な理念ばかりで生きてるわけでなく、毎日俗っぽい事柄ばかりに、身をおいて労しているのです。
神が恵みとしてくださった、この現実、俗世、この体、この容姿、健康状態こそ、大切にすべきであり、神の祝福もそこに重点があることを感謝すべきであります。
そして、その次に、信仰が成長すれば、パウロやペテロのように、地位や名誉は富は、ちりあくたに見えて、いのちも惜しまないほど、キリストに仕える喜びを知ることとなります。地位、名誉を積み重ねた所はゴミ屋敷であると思えるほど成長するのです。
とはいえ「並のクリスチャン」に達しているかいないかの信仰初心者の我々は、どちらかというと、ゴミ屋敷を作りたいし。いのちをも惜しまないほどの成長はそれほどしたくない気持ちがあります。ありませんか?
とりあえず日常の衣食住の平凡な恵みに感謝し、やがて程度の差はあっても、誰にも訪れる理不尽な苦難を、岩の上に人生の家を建てて、それを成長の肥やしとして、成長することができるよう、祈りをもって、今週の旅路に歩み出しましょう。
どなたでも歓迎します。原則無料です。プロテスタントカルバン主義ですが、他の宗派や他の宗教も尊重しています。 また婚葬儀の改革とオリジナリティを提案している教会です。 お問い合わせ:090-3922-2995
Saturday, October 25, 2014
2014,10,24(金)19:30&26(日)礼拝
主題聖句 「前の半生よりあとの半生をもっと祝福された」
賛美歌 Ⅱ-185
ヘブル聖書 ヨブ42:1-17
主の祈り
ニカイア信条
詩編 34:1-8
賛美歌 322
使徒書簡 ヘブル7:23-28
福音書 マルコ10:46-52
説教 「祝福としての豊かさ」
賛美歌 367
頌栄 546
祝祷
カトリック& 聖公会共同訳「主の祈り」
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように、
み国が来ますように、
み心が天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン
み名が聖とされますように、
み国が来ますように、
み心が天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン
ニカイヤ信条
- 我らは、唯一の全能の父なる神、すべて見えるものと見えざるものの創造者を信ずる。
- また我らは、主イエス・キリスト、神の御子、御父よりただ独り生まれたるもの、神より出でたる神、光より出でたる光、真の神より出でたる真の神、造られず、聖父と同質なる御方を信ずる。その主によって、万物、すなわち天にあるもの地にあるものは成り、また主は、我ら人間のため、我らの救のために降り、肉をとり、人となり、苦しみ、三日目に甦えり、天に昇り、生きている者と死んでいる者とを審くために来たり給うのである。
- 我らは聖霊を信ずる。主の在し給わなかった時があるといい、生まれ給う前には主は在し給わなかったといっている者ら、または、異なった存在または本質から出でたもの(被造物)といい、変質し異質となり得る御方であると語る者を、公同かつ使徒的なる教会は呪うものである。
- ヨブ42:1-171 ヨブは主に答えて言った。
2 あなたには、すべてができること、あなたはどんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。
3 知識もなくて、摂理をおおい隠す者は、だれか。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。
4 さあ聞け。わたしが語る。わたしがあなたに尋ねる。わたしに示せ。
5 私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。
6 それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています。
7 さて、主がこれらのことばをヨブに語られて後、主はテマン人エリファズに仰せられた。「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。それは、あなたがたがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったからだ。
8 今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブのところに行き、あなたがたのために全焼のいけにえをささげよ。わたしのしもべヨブはあなたがたのために祈ろう。わたしは彼を受け入れるので、わたしはあなたがたの恥辱となることはしない。あなたがたはわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったが。」
9 テマン人エリファズと、シュアハ人ビルダデとナアマ人ツォファルが行って、主と彼らに命じたようにすると、主はヨブの祈りを受け入れられた。
10 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄を元どおりにされた。主はヨブの所有物もすべて二倍に増やされた。
11 こうして彼のすべての兄弟、すべての姉妹、それに以前のすべての知人は、彼のところに来て、彼の家で彼とともに食事をした。そして彼をいたわり、主が彼の上にもたらしたすべてのわざわいについて、彼を慰めた。彼らはめいめい一ケシタと金の輪一つずつを彼に与えた。
12 主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。それで彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。
13 また、息子七人、娘三人を持った。
14 彼はその第一の娘をエミマ、第二の娘をケツィア、第三の娘をケレン・ハプクと名づけた。
15 ヨブの娘たちほど美しい女はこの国のどこにもいなかった。彼らの父は、彼女たちにも、その兄弟たちの間に相続地を与えた。
16 この後ヨブは百四十年生き、自分の子と、その子の子たちを四代目まで見た。
17 こうしてヨブは老年を迎え、長寿を全うして死んだ。ヘブル723 また、彼らの場合は、死ということがあるため、務めにいつまでもとどまることができず、大ぜいの者が祭司となりました。
24 しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。
25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
26 また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。
27 ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。
28 律法は弱さを持つ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た誓いのみことばは、永遠に全うされた御子を立てるのです。マルコ1046 彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群集といっしょにエリコを出られると、テマイの子バルテマイという盲人の物ごいが、道ばたにすわっていた。
47 ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び始めた。
48 そこで、彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめたが、彼はますます、「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。
49 すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている」と言った。
50 すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐに立ち上がって、イエスのところに来た。
51 そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」
52 するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。
Friday, October 17, 2014
あまりにも大きいゆえに、深いゆえに理解不能はあたりまえ
指揮者の故岩城宏行の言葉ですが、「僕はずっと野球選手になりたくて努力していた。本気だった。でもなれなかった。でも指揮者になれた。指揮者になりたくて本気で努力している人が多いけど、なりたくてなれるものでもない」
世俗の職業でも、才能と努力、その前に熱い熱意、認めたくはないが確かに強運も必要。
イエス様の弟子達は、どのような動機で弟子になったかは様々だろうが、ほとんどが、イエス様の方から誘いがあったので、本来選択ミスはないはずである。
その弟子達が親の力まで借りて、ポジション争いを始めた。
ヤコブとヨハネは、霊的指導を受けながら、地上的地位を求めた。
霊的、地上的に関わらず、熱心に求めればいいわけではない。
たしかに神は動機も与えてくださる。でもそれは自分の欲求からのものかどうかは、長期間経たないと不明なことが多い。
夏目漱石の小説「こころ」がここ数日話題になった。
自殺者のこころを理解していく過程。ほぼ理解したと思える時点で、まったくわからなくなって終わる。
宇宙の研究もずいぶん深くなったが、深くなればなるほど、わからなくなる。
どんな宗教の信仰の道でも知れば知るほどわからなくなるもの。
我々の信仰も知れば知るほどわからなくはなるが、ただし、感謝と喜びが無限大となる。
神は主権を持っておられる。我々の思い通りにはならない。
その御意志、みこころはわからないことがほとんどである。
こんなに恵まれていいのであろうかという、肯定的疑問。
神がいるのになぜこんな苦しみがという、否定的疑問。
神は我々を様々なポジションに召し、それにふさわしい訓練、試練がある。
この時点では、なにもわかってなかった弟子達。
イエス様の杯を飲むと、かなり軽はずみな答えをしている。
やがてヤコブは殉教第一号となり、ヨハネは比較的長生きをするも、パトモス島に流され苦しい最後となった。ペテロもパウロも殺された。
イエスさまの杯を飲む事となった。
しかし、そこには「イエスさまに仕えているのになぜこんな苦しみを」と嘆く姿はない。
かえって苦難をよろこんでいるようにすら見える。
イエス様の弟子になったことを悔いる人は皆無だった。
世俗の職業でも、才能と努力、その前に熱い熱意、認めたくはないが確かに強運も必要。
イエス様の弟子達は、どのような動機で弟子になったかは様々だろうが、ほとんどが、イエス様の方から誘いがあったので、本来選択ミスはないはずである。
その弟子達が親の力まで借りて、ポジション争いを始めた。
ヤコブとヨハネは、霊的指導を受けながら、地上的地位を求めた。
霊的、地上的に関わらず、熱心に求めればいいわけではない。
たしかに神は動機も与えてくださる。でもそれは自分の欲求からのものかどうかは、長期間経たないと不明なことが多い。
夏目漱石の小説「こころ」がここ数日話題になった。
自殺者のこころを理解していく過程。ほぼ理解したと思える時点で、まったくわからなくなって終わる。
宇宙の研究もずいぶん深くなったが、深くなればなるほど、わからなくなる。
どんな宗教の信仰の道でも知れば知るほどわからなくなるもの。
我々の信仰も知れば知るほどわからなくはなるが、ただし、感謝と喜びが無限大となる。
神は主権を持っておられる。我々の思い通りにはならない。
その御意志、みこころはわからないことがほとんどである。
こんなに恵まれていいのであろうかという、肯定的疑問。
神がいるのになぜこんな苦しみがという、否定的疑問。
神は我々を様々なポジションに召し、それにふさわしい訓練、試練がある。
この時点では、なにもわかってなかった弟子達。
イエス様の杯を飲むと、かなり軽はずみな答えをしている。
やがてヤコブは殉教第一号となり、ヨハネは比較的長生きをするも、パトモス島に流され苦しい最後となった。ペテロもパウロも殺された。
イエスさまの杯を飲む事となった。
しかし、そこには「イエスさまに仕えているのになぜこんな苦しみを」と嘆く姿はない。
かえって苦難をよろこんでいるようにすら見える。
イエス様の弟子になったことを悔いる人は皆無だった。
Sunday, October 12, 2014
2014.10.17(金) & 19(日)礼拝予定案
網干キリスト教会 2014.10.17(金)19:30 &10.19(日)10:30 礼拝式次第
主題聖句 「それに備えられた人々があるのです」
賛美歌 Ⅱ-185
ヘブル聖書 ヨブ38:1-7
主の祈り
ニカイア信条
詩編 104:1-35
賛美歌 Ⅱ-196
使徒書簡 ヘブル5:1-10
福音書 マルコ10:35-45
説教 「あまりにも大きく、深いので理解不可はあたりまえ」
賛美歌 280
報告
頌栄 546
祝祷
カトリック& 聖公会共同訳「主の祈り」
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように、
み国が来ますように、
み心が天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン
み名が聖とされますように、
み国が来ますように、
み心が天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン
ニカイヤ信条
- 我らは、唯一の全能の父なる神、すべて見えるものと見えざるものの創造者を信ずる。
- また我らは、主イエス・キリスト、神の御子、御父よりただ独り生まれたるもの、神より出でたる神、光より出でたる光、真の神より出でたる真の神、造られず、聖父と同質なる御方を信ずる。その主によって、万物、すなわち天にあるもの地にあるものは成り、また主は、我ら人間のため、我らの救のために降り、肉をとり、人となり、苦しみ、三日目に甦えり、天に昇り、生きている者と死んでいる者とを審くために来たり給うのである。
- 我らは聖霊を信ずる。
- 主の在し給わなかった時があるといい、生まれ給う前には主は在し給わなかったといっている者ら、または、異なった存在または本質から出でたもの(被造物)といい、変質し異質となり得る御方であると語る者を、公同かつ使徒的なる教会は呪うものである。
ヨブ38
1 主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。
2 知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。
3 さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
5 あなたは知っているか。だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に張ったかを。
6 その台座は何の上にはめ込まれたか。その隅の石はだれが据えたか。
7 そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子たちはみな喜び叫んだ。
2 知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。
3 さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
5 あなたは知っているか。だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に張ったかを。
6 その台座は何の上にはめ込まれたか。その隅の石はだれが据えたか。
7 そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子たちはみな喜び叫んだ。
ヘブル5:1-10
1 大祭司はみな、人々の中から選ばれ、神に仕える事がらについて人々に代わる者として、任命を受けたのです。それは、罪のために、ささげ物といけにえとをささげるためです。
2 彼は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです。
3 そしてまた、その弱さゆえに、民のためだけでなく、自分のためにも、罪のためのささげ物をしなければなりません。
4 まただれでも、この名誉は自分で得るのではなく、アロンのように神に召されて受けるのです。
5 同様に、キリストも大祭司となる栄誉を自分で得られたのではなく、彼に、「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」と言われた方が、それをお与えになったのです。
6 別の個所で、こうも言われます。「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」
7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。
8 キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、
9 完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、
10 神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。
2 彼は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです。
3 そしてまた、その弱さゆえに、民のためだけでなく、自分のためにも、罪のためのささげ物をしなければなりません。
4 まただれでも、この名誉は自分で得るのではなく、アロンのように神に召されて受けるのです。
5 同様に、キリストも大祭司となる栄誉を自分で得られたのではなく、彼に、「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」と言われた方が、それをお与えになったのです。
6 別の個所で、こうも言われます。「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」
7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。
8 キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、
9 完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、
10 神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。
マルコ10:
35 さて、ゼベダイのふたりの子、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。「先生。私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います。」
36 イエスは彼らに言われた。「何をしてほしいのですか。」
37 彼らは言った。「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」
38 しかし、イエスは彼らに言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。あなたがたは、わたしの飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとするバプテスマを受けることができますか。」
39 彼らは、「できます」と言った。イエスは言われた。「なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。
40 しかし、わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません。それに備えられた人々があるのです。」
41 十人の者がこのことを聞くと、ヤコブとヨハネのことで腹を立てた。
42 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。
43 しかし、あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
44 あなたがたの間でひとの先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。
45 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人たちのための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
36 イエスは彼らに言われた。「何をしてほしいのですか。」
37 彼らは言った。「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」
38 しかし、イエスは彼らに言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。あなたがたは、わたしの飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとするバプテスマを受けることができますか。」
39 彼らは、「できます」と言った。イエスは言われた。「なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。
40 しかし、わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません。それに備えられた人々があるのです。」
41 十人の者がこのことを聞くと、ヤコブとヨハネのことで腹を立てた。
42 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。
43 しかし、あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
44 あなたがたの間でひとの先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。
45 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人たちのための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
神がいるのになぜ苦しみがあるのか。
ドラマや物語りでの悲しい話には、感動があります。
感動の源は、希望でしょう。
私にとってそれらのお話の中で、両親をなくし、自分も幼いのにもっと幼い弟、妹を守ろうとする話は、自分が話していても、涙ぐんできて、上手に話せなくなってしまいます。
テレビで見たドラマですが、終戦を外地で迎え、父親が殺され、日本に引き上げようとするも、母親が病死して、7才くらいの長男が小さなシャベルで埋葬します。
まだ死の意味がわからない3才くらいの妹が「なぜお母さんを埋めるの。お兄ちゃんのバカア〜!」とお兄ちゃんに砂をかけながら叫ぶ話など、今、これを書きながら涙ぐんできました。
野坂昭如の「ほたるの墓」などは、懸命の努力をしながら、妹は病死し、本人も死ぬという救いのない話ながら、いのちの尊さを訴える感動があります。
ヨブ記は壮大なドラマ、また壮大な神の計画が記されています。
私はヨブ記を学んだ時、現実の不条理を正面から捉え、安易な因果応報話に持ち込まない、これこそ神のメッセージであると確信しました。
神には人が作った神と人を作った神があります。
人が作った哲学を積み重ねていって高くなった宗教と、人を作ってくださった方のメッセージが上から下ってきたものとがあります。
人が作った宗教は、当然学べば理解できます。
しかし、日常起こる理不尽な事は理解不能なことばかりです。
ニュース解説で有識者と言われる人が、事件の背景などの解説をしますが、そのほとんどは的外れなのは、彼の知る領域が「専門」と言われるほど、狭いゆえです。
ヨブの体験したことは、どんなお話より悲惨にして悲しい話です。
しかしホタルの墓ほど悲しく感じないのはなぜでしょう。
現実の話なのに。
一つは暴れまくるサタンを神がチャンと支配しておられることです。
「命までうばってはならぬ」に、サタンも背けません。
「何の理由もなく彼を滅ぼそうとするのか」(2:3)と、神はサタンに怒ります。
因果応報が全てではありません。
読者の我々は、神が私達を守って、サタンをコントロールしている背景を知っているので、試合結果を知って録画の野球試合を見ているように、ハラハラドキドキはあまりしません。
さて当のヨブは、そんな背景を知らないのに、神の守りを信じています。
「私は裸で生まれてはだかで帰る。主は与え主は取られる」と最高の信仰告白をします。
また
「幸いを受けたのだから、わざわいも受けるべき」という発言は、もう信仰者の鏡です。
信仰者として最高のステージでしょう。
しかし最初に私がヨブ記の学びをした時の講師は言われました。
「並のクリスチャンなら、この程度のことは言えるのです」
最高の悟りと思えるほどのステージが「並」とは。
「しかしヨブの苦しみはここから始まる」
と、まだまだ最高のステージに立ったヨブを、さらに苦しみ痛めつけるできごとが起こります。
苦しみの長期化と、もう一つは何と、ヨブを愛して心配して、助けになろうと、何日もかけて外国から駆けつけた友人達が、善意で取り組む一つ一つが、ヨブを最高に苦しめることとなります。
感動の源は、希望でしょう。
私にとってそれらのお話の中で、両親をなくし、自分も幼いのにもっと幼い弟、妹を守ろうとする話は、自分が話していても、涙ぐんできて、上手に話せなくなってしまいます。
テレビで見たドラマですが、終戦を外地で迎え、父親が殺され、日本に引き上げようとするも、母親が病死して、7才くらいの長男が小さなシャベルで埋葬します。
まだ死の意味がわからない3才くらいの妹が「なぜお母さんを埋めるの。お兄ちゃんのバカア〜!」とお兄ちゃんに砂をかけながら叫ぶ話など、今、これを書きながら涙ぐんできました。
野坂昭如の「ほたるの墓」などは、懸命の努力をしながら、妹は病死し、本人も死ぬという救いのない話ながら、いのちの尊さを訴える感動があります。
ヨブ記は壮大なドラマ、また壮大な神の計画が記されています。
私はヨブ記を学んだ時、現実の不条理を正面から捉え、安易な因果応報話に持ち込まない、これこそ神のメッセージであると確信しました。
神には人が作った神と人を作った神があります。
人が作った哲学を積み重ねていって高くなった宗教と、人を作ってくださった方のメッセージが上から下ってきたものとがあります。
人が作った宗教は、当然学べば理解できます。
しかし、日常起こる理不尽な事は理解不能なことばかりです。
ニュース解説で有識者と言われる人が、事件の背景などの解説をしますが、そのほとんどは的外れなのは、彼の知る領域が「専門」と言われるほど、狭いゆえです。
ヨブの体験したことは、どんなお話より悲惨にして悲しい話です。
しかしホタルの墓ほど悲しく感じないのはなぜでしょう。
現実の話なのに。
一つは暴れまくるサタンを神がチャンと支配しておられることです。
「命までうばってはならぬ」に、サタンも背けません。
「何の理由もなく彼を滅ぼそうとするのか」(2:3)と、神はサタンに怒ります。
因果応報が全てではありません。
読者の我々は、神が私達を守って、サタンをコントロールしている背景を知っているので、試合結果を知って録画の野球試合を見ているように、ハラハラドキドキはあまりしません。
さて当のヨブは、そんな背景を知らないのに、神の守りを信じています。
「私は裸で生まれてはだかで帰る。主は与え主は取られる」と最高の信仰告白をします。
また
「幸いを受けたのだから、わざわいも受けるべき」という発言は、もう信仰者の鏡です。
信仰者として最高のステージでしょう。
しかし最初に私がヨブ記の学びをした時の講師は言われました。
「並のクリスチャンなら、この程度のことは言えるのです」
最高の悟りと思えるほどのステージが「並」とは。
「しかしヨブの苦しみはここから始まる」
と、まだまだ最高のステージに立ったヨブを、さらに苦しみ痛めつけるできごとが起こります。
苦しみの長期化と、もう一つは何と、ヨブを愛して心配して、助けになろうと、何日もかけて外国から駆けつけた友人達が、善意で取り組む一つ一つが、ヨブを最高に苦しめることとなります。
Monday, October 06, 2014
礼拝2014.10.12
網干キリスト教会 2014.10.10(金)19:30 &10.12(日)10:30 礼拝式次第
主題聖句
賛美歌 Ⅱ-185
ヘブル聖書 ヨブ23:1-17
主の祈り
ニカイア信条
詩編 22:1-15
賛美歌 Ⅱ-196
使徒書簡 ヘブル4:12-16
福音書 マルコ10:17-31
説教 「把握しにくい神」
賛美歌 258
報告
頌栄 546
祝祷
カトリック&聖公会共同訳「主の祈り」
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように、
み国が来ますように、
み心が天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン
ニカイヤ信条
ヘブル聖書 ヨブ23:1-17
主の祈り
ニカイア信条
詩編 22:1-15
賛美歌 Ⅱ-196
使徒書簡 ヘブル4:12-16
福音書 マルコ10:17-31
説教 「把握しにくい神」
賛美歌 258
報告
頌栄 546
祝祷
カトリック&聖公会共同訳「主の祈り」
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように、
み国が来ますように、
み心が天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン
ニカイヤ信条
- 我らは、唯一の全能の父なる神、すべて見えるものと見えざるものの創造者を信ずる。
- また我らは、主イエス・キリスト、神の御子、御父よりただ独り生まれたるもの、神より出でたる神、光より出でたる光、真の神より出でたる真の神、造られず、聖父と同質なる御方を信ずる。その主によって、万物、すなわち天にあるもの地にあるものは成り、また主は、我ら人間のため、我らの救のために降り、肉をとり、人となり、苦しみ、三日目に甦えり、天に昇り、生きている者と死んでいる者とを審くために来たり給うのである。
- 我らは聖霊を信ずる。
- 主の在し給わなかった時があるといい、生まれ給う前には主は在し給わなかったといっている者ら、または、異なった存在または本質から出でたもの(被造物)といい、変質し異質となり得る御方であると語る者を、公同かつ使徒的なる教会は呪うものである。
ヨブ23
1 ヨブは答えて言った。
2 きょうもまた、私はそむく心でうめき、私の手は自分の嘆きのために重い。
3 ああ、できれば、どこで神に会えるかを知り、その御座にまで行きたい。
4 私は御前に訴えを並びたて、ことばの限り討論したい。
5 私は神が答えることばを知り、私に言われることが何であるかを悟りたい。
6 神は力強く私と争われるだろうか。いや、むしろ私に心を留めてくださろう。
7 そこで正しい人が神と論じ合おう。そうすれば私は、とこしえにさばきを免れる。
8 ああ、私が前へ進んでも、神はおられず、うしろに行っても、神を認めることができない。
9 左に向かって行っても、私は神を見ず、右に向きを変えても、私は会うことができない。
10 しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。
11 私の足は神の歩みにつき従い、神の道を守って、それなかった。
12 私は神のくちびるの命令から離れず、私の定めよりも、御口のことばをたくわえた。
13 しかし、みこころは一つである。だれがそれを翻すことができようか。神はこころの欲するところを行われる。
14 神は、私について定めたことを、成し遂げられるからだ。このような多くの定めが神のうちにある。
15 だから、私は神の前でおびえ、これを思って、神を恐れているのだ。
16 神は私の心を弱くし、全能者は私をおびえさせた。
17 私はやみによって消されず、彼が、暗黒を私の前からなくされたからだ。
ヘブル4
12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
13 造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。
14 さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
マルコ10
17 イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」
18 イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません。
19 戒めはあなたもよく知っているはずです。『殺してはならない。偽証を立ててはならない。欺き取ってはならない。父と母を敬え。』」
20 すると、その人はイエスに言った。「先生。私はそのようなことをみな、小さい時から守っております。」
21 イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
22 すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。なぜなら、この人は多くの財産を持っていたからである。
23 イエスは、見回して、弟子たちに言われた。「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。」
24 弟子たちは、イエスのことばに驚いた。しかし、イエスは重ねて、彼らに答えて言われた。「子たちよ。神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。
25 金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
26 弟子たちは、ますます驚いて互いに言った。「それでは、だれが救われることができるのだろうか。」
27 イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」
28 ペテロがイエスにこう言い始めた。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。」
29 イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、
30 その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。
31 しかし、先の者があとになり、後の者が先になることが多いのです。」
Sunday, October 05, 2014
2014 10月礼拝予定
10/03(金)19:30 木下春樹牧師担当
10/05(日)10:30 木下友子牧師担当
19/10(金)19:30 木下春樹牧師担当
10/12(日)10:30 木下春樹牧師担当
10/17(金)19:30 木下春樹牧師担当
10/19(日)10:30 木下春樹牧師担当
10/24(金)19:30 木下春樹牧師担当
10/26(日)10:30 木下友子牧師担当
10/31(金)19:30 木下春樹牧師担当
10/05(日)10:30 木下友子牧師担当
19/10(金)19:30 木下春樹牧師担当
10/12(日)10:30 木下春樹牧師担当
10/17(金)19:30 木下春樹牧師担当
10/19(日)10:30 木下春樹牧師担当
10/24(金)19:30 木下春樹牧師担当
10/26(日)10:30 木下友子牧師担当
10/31(金)19:30 木下春樹牧師担当
Saturday, September 06, 2014
2014,9,7礼拝より
一昨日、救急車が赤信号に一旦停車してサイレンを鳴らして発進しようとしました。
そこに青信号側の車が、思いっきり飛ばして救急車の鼻先をかすめて通過しました。当然救急車は頭を出して止まっているので見えてます。青の優先性を主張して、事故があればそちらの責任という走り方でした。
免許を持っていれば、信号より緊急自動車が優先であることぐらい知っています。でも日常的に青優先のクセが出て来て、命を危険を犯しているのです。
安全運転の基本である交通ルールを知っていても身についていない、運転技術になっていないことで、命を危険をふりまいています。
さてヤコブ書では、教会において金持ち優先であってはならないと教えています。
他にも困難にもよろこんで立ち向かうとか信仰は行動があってこそ本物と述べています。
ある意味ではヤコブに言われなくても、イエス様の精神からして当然のこととして知っています。しかしそれは知っているだけでは、他宗教や未信者でも立派な人生訓を知っています。生活習慣になってなければ、キリスト教信仰者としての特権はありません。
そして、聖霊の働きにより、生活習慣にまで導くエネルギーがいただけます。
そこに青信号側の車が、思いっきり飛ばして救急車の鼻先をかすめて通過しました。当然救急車は頭を出して止まっているので見えてます。青の優先性を主張して、事故があればそちらの責任という走り方でした。
免許を持っていれば、信号より緊急自動車が優先であることぐらい知っています。でも日常的に青優先のクセが出て来て、命を危険を犯しているのです。
安全運転の基本である交通ルールを知っていても身についていない、運転技術になっていないことで、命を危険をふりまいています。
さてヤコブ書では、教会において金持ち優先であってはならないと教えています。
他にも困難にもよろこんで立ち向かうとか信仰は行動があってこそ本物と述べています。
ある意味ではヤコブに言われなくても、イエス様の精神からして当然のこととして知っています。しかしそれは知っているだけでは、他宗教や未信者でも立派な人生訓を知っています。生活習慣になってなければ、キリスト教信仰者としての特権はありません。
そして、聖霊の働きにより、生活習慣にまで導くエネルギーがいただけます。
マザーテレサのことば
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
Tuesday, September 02, 2014
2014,9 予定
9/5 金 木下春樹牧師担当 箴言22 マルコ7
/7 日 木下友子牧師担当
/12 金 木下春樹牧師担当 マルコ8
/14 日 木下友子牧師担当
/19 金 木下春樹牧師担当 マルコ9
/21 日 木下春樹牧師担当
/26 金 木下春樹牧師担当
/28 日 木下友子牧師担当
/7 日 木下友子牧師担当
/12 金 木下春樹牧師担当 マルコ8
/14 日 木下友子牧師担当
/19 金 木下春樹牧師担当 マルコ9
/21 日 木下春樹牧師担当
/26 金 木下春樹牧師担当
/28 日 木下友子牧師担当
Thursday, August 21, 2014
2014年8月22,24礼拝
先日の大阪集会で、メシアニックジューの牧師が、ウケねらいの挨拶
「モーカリマッカ?」
今朝で、百田尚樹著「海賊といわれた男」上下巻を感動もって読み終えました。
出光興産は定年なし、首切り無し、タイムレコーダーなし、組合なし。会社は家族。
「商売は利益追求」と経済学で学んだことに強く反発。家族は金銭より大切。日本に世界に貢献できてこそ会社。
会社に魂が入っている。
かたや西洋かぶれのキンダイ経営は
資本家と労働者は敵対関係という共産主義思想のもとで、CEOが多額の利益を上げても、不況になればリストラ。これがグローバルスタンダード。いかに軽薄か。
今の日本は金銭崇拝教の信者ばかり。
カネを持ってるとエライ、稼いでいるとエライ、見栄張り生活者がエライ。
出光佐三臨終の床で、側近がつぶやきます。
「この人に40年仕えたのに、一度も儲けろということばを聞いた事がない」
「仏を作って魂入れず」
人造物にどうしたら魂が入るのかは疑問だが、我々は神に作られた陶器。自己中心の魂はしっかり入っているが、神の息は拒絶していないだろうか?
ソロモンは神殿を作ったが、「神は地上にお住まいにならず、天の天もお入れする事はできない」と賛美。すると「主の栄光がこの宮に満ちた」神がご臨在を示される。
とかく宗教施設は豪華で大型という、ハッタリで威光を示すもの。
ソロモン神殿は多くの国民が喜んで捧げ、実労した神殿。大変豪華ですが、神をお入れするものではないことをわきまえている。
枠に治まらないほどの偉大さを認識する時、魂=神の臨在があった。
かつて後藤牧人師が「日本の牧師は1%に満たないクリスチャンのために99%のエネルギーを使っている。宣教できるわけがない」と批判された。
クリスチャンはかくあるべきという枠では、神は小さな箱に閉じ込められ栄光を表すことができない。
自営だから、サラリーマンだから。若いから、年だから、男だから、女だから、だからに閉じ込められ、天の天にもお入れすることができない「神のかたち」と息が入った土器である我々。
ブランドで値札をぶらさげなければ、自分の価値が表現されないなら、魂のない土の器。
出光の迫力は、自分の利益のためではないことの信念から出ている。
同時に妥協や先送りや、自己保身ばかりを気にしている官僚や一流会社のエリートたちが、日本と世界を堕落させていることを滑稽に描いているのも、文章がわかりやすく書かれている。
戦後還暦を越えた一個人が、人を大切にすることで、ゼロからスタートして、日本の石油流通を欧米の独占から守り、特に中東の人達の利益を守ることができた。
私たちの体は聖霊の宮として尊厳あり、大切なもであります。
しかし聖霊はこんな体にお入れできるほど貧素なお方ではありません。
ハッタリや大声やいばった姿は自身のない裏返しです。
聖霊をお入れすることができない土の器を認識することで聖霊が臨在してくださいます。
還暦を過ぎてから、ゼロスタートで、我々のような凡人でも、神にお仕えできますよう。
自己中心でなく神と隣人を愛する週でありますよう。
「モーカリマッカ?」
今朝で、百田尚樹著「海賊といわれた男」上下巻を感動もって読み終えました。
出光興産は定年なし、首切り無し、タイムレコーダーなし、組合なし。会社は家族。
「商売は利益追求」と経済学で学んだことに強く反発。家族は金銭より大切。日本に世界に貢献できてこそ会社。
会社に魂が入っている。
かたや西洋かぶれのキンダイ経営は
資本家と労働者は敵対関係という共産主義思想のもとで、CEOが多額の利益を上げても、不況になればリストラ。これがグローバルスタンダード。いかに軽薄か。
今の日本は金銭崇拝教の信者ばかり。
カネを持ってるとエライ、稼いでいるとエライ、見栄張り生活者がエライ。
出光佐三臨終の床で、側近がつぶやきます。
「この人に40年仕えたのに、一度も儲けろということばを聞いた事がない」
「仏を作って魂入れず」
人造物にどうしたら魂が入るのかは疑問だが、我々は神に作られた陶器。自己中心の魂はしっかり入っているが、神の息は拒絶していないだろうか?
ソロモンは神殿を作ったが、「神は地上にお住まいにならず、天の天もお入れする事はできない」と賛美。すると「主の栄光がこの宮に満ちた」神がご臨在を示される。
とかく宗教施設は豪華で大型という、ハッタリで威光を示すもの。
ソロモン神殿は多くの国民が喜んで捧げ、実労した神殿。大変豪華ですが、神をお入れするものではないことをわきまえている。
枠に治まらないほどの偉大さを認識する時、魂=神の臨在があった。
かつて後藤牧人師が「日本の牧師は1%に満たないクリスチャンのために99%のエネルギーを使っている。宣教できるわけがない」と批判された。
クリスチャンはかくあるべきという枠では、神は小さな箱に閉じ込められ栄光を表すことができない。
自営だから、サラリーマンだから。若いから、年だから、男だから、女だから、だからに閉じ込められ、天の天にもお入れすることができない「神のかたち」と息が入った土器である我々。
ブランドで値札をぶらさげなければ、自分の価値が表現されないなら、魂のない土の器。
出光の迫力は、自分の利益のためではないことの信念から出ている。
同時に妥協や先送りや、自己保身ばかりを気にしている官僚や一流会社のエリートたちが、日本と世界を堕落させていることを滑稽に描いているのも、文章がわかりやすく書かれている。
戦後還暦を越えた一個人が、人を大切にすることで、ゼロからスタートして、日本の石油流通を欧米の独占から守り、特に中東の人達の利益を守ることができた。
私たちの体は聖霊の宮として尊厳あり、大切なもであります。
しかし聖霊はこんな体にお入れできるほど貧素なお方ではありません。
ハッタリや大声やいばった姿は自身のない裏返しです。
聖霊をお入れすることができない土の器を認識することで聖霊が臨在してくださいます。
還暦を過ぎてから、ゼロスタートで、我々のような凡人でも、神にお仕えできますよう。
自己中心でなく神と隣人を愛する週でありますよう。
Saturday, August 16, 2014
2014.8.17 礼拝より
百田尚樹著「海賊とよばれた男」をせっせと読んでいます。
1,000人を越える大商店を創業したものの、戦災ですべてを失ったばかりか、「社員は家族」と千人の生活を支えなければならない負担のみが残る。
すでに還暦を越えて引退の時機。
しかし百田は、それを朱夏の単元に入れている。
本来は単なる春夏秋冬を色をつけてもったいぶり、青春、朱夏、白秋、玄冬と呼ぶ。
還暦を越えてからの働きを中心として据えている。
まだ下巻の白秋、玄冬は読んでないものの、クライマックスは巨大タンカーをイランに乗り付け、イギリス海軍や米国石油メジャー相手に渡り合って、世界中をあっと言わせたところらしい。
かれは私利私欲を捨て、社員のために尽力したので、社員の一人一人が、信念を持って、世界紛争の原因である石油流通の多様化を図った。
全国民や世界の人達に貢献することこそ、発展の原動力という信念を社員が持っている。
この商店に比べると、保身ばかりの公務員やエリート揃いの石油大企業社員が既得権を守るのに、さんざん卑劣な手段をとるのが、何とも賎しい。
さて聖書
ダビデはバテシバ事件や悲惨なアブシャロム事件という、いずれも身から出たサビの事件をおこしながらも、イスラエル歴史上最高の王となり君臨した。
有能でも、異性に弱いのと子弟教育がヘタで息子に殺されそうになったダビデ。
その息子なのに、なんとすばらしいソロモンが育ったのはなぜ?
知恵は最高、外交や貿易で豊かな富を国にもたらせた事業家。
神なき富は虚しいこともわかっている哲学者。
自分の富や健康より、民の幸いを常に祈り、神から大いなる祝福を受けたソロモン。
非の打ち所無し! あった。
「妥協家」
彼の正妻は?千人の妻がいるのに、いやいるから、真のパートナーが組めなかった様子。
決してシバの女王ではない。
結婚関係があったかなかったかも記されてない。
周辺の国から政略結婚を持ち込まれ全て応じた。
一度も会ったことのない女性も多かったことだろう。
全てが備わったソロモンだが、幸せだっただろうか。
彼の結論は「若き日に作り主を覚えよ」
ダビデもソロモンも欠陥の多い、ただの罪人であるにも関わらず、基本的に神と人のために尽くして、ちょっとだけ自分のために尽くしたたことが大いなる祝福のもととなった。
1,000人を越える大商店を創業したものの、戦災ですべてを失ったばかりか、「社員は家族」と千人の生活を支えなければならない負担のみが残る。
すでに還暦を越えて引退の時機。
しかし百田は、それを朱夏の単元に入れている。
本来は単なる春夏秋冬を色をつけてもったいぶり、青春、朱夏、白秋、玄冬と呼ぶ。
還暦を越えてからの働きを中心として据えている。
まだ下巻の白秋、玄冬は読んでないものの、クライマックスは巨大タンカーをイランに乗り付け、イギリス海軍や米国石油メジャー相手に渡り合って、世界中をあっと言わせたところらしい。
かれは私利私欲を捨て、社員のために尽力したので、社員の一人一人が、信念を持って、世界紛争の原因である石油流通の多様化を図った。
全国民や世界の人達に貢献することこそ、発展の原動力という信念を社員が持っている。
この商店に比べると、保身ばかりの公務員やエリート揃いの石油大企業社員が既得権を守るのに、さんざん卑劣な手段をとるのが、何とも賎しい。
さて聖書
ダビデはバテシバ事件や悲惨なアブシャロム事件という、いずれも身から出たサビの事件をおこしながらも、イスラエル歴史上最高の王となり君臨した。
有能でも、異性に弱いのと子弟教育がヘタで息子に殺されそうになったダビデ。
その息子なのに、なんとすばらしいソロモンが育ったのはなぜ?
知恵は最高、外交や貿易で豊かな富を国にもたらせた事業家。
神なき富は虚しいこともわかっている哲学者。
自分の富や健康より、民の幸いを常に祈り、神から大いなる祝福を受けたソロモン。
非の打ち所無し! あった。
「妥協家」
彼の正妻は?千人の妻がいるのに、いやいるから、真のパートナーが組めなかった様子。
決してシバの女王ではない。
結婚関係があったかなかったかも記されてない。
周辺の国から政略結婚を持ち込まれ全て応じた。
一度も会ったことのない女性も多かったことだろう。
全てが備わったソロモンだが、幸せだっただろうか。
彼の結論は「若き日に作り主を覚えよ」
ダビデもソロモンも欠陥の多い、ただの罪人であるにも関わらず、基本的に神と人のために尽くして、ちょっとだけ自分のために尽くしたたことが大いなる祝福のもととなった。
Tuesday, July 29, 2014
2014.08 予定
7/31〜8/4 松原湖バイブルキャンプ中高生キャンプ参加
8/01(金)19:30 定期集会 担当木下春樹牧師 サムエル下11章
8/03(日) 休会
8/08(金)19:30 木下春樹牧師担当 サムエル下12章
8/10(日)10:30 木下春樹牧師担当 サムエル下
8/15(金)19:30 木下春樹牧師担当 列王記
8/17(日)10:30 木下春樹牧師担当 〃
8/22(金)19:30 木下春樹牧師担当 列王記
8/24(日)10:30 木下友子牧師担当 〃
8/29(金)19:30 木下春樹牧師担当 雅歌
8/31(日)10:30 木下友子牧師担当 〃
<8>8>
ダビデは幼くしてゴリアテを倒すほどの天才的戦士。王室音楽家
そして戦術家にして国王、政治家としても一級、そして実績。
そのダビデが人生最大の大失敗、バテシバ事件。
神はその大失敗さえ用いて、ダビデを一級の信仰者と成長させる。キリストの家系にすらしてくださる。
ダビデは社会人としては、すでに成功者だが、信仰者としての成長はこれから。
人は偉大になるほど尊大になり謙遜や悔い改めは困難となる。
よってダビデは強烈な罪の誘惑に陥る
我々は実績を重ねた人は勿論、年を取るだけでも、社会からお世辞であっても一目置かれる。
それすなわち、神から自動的に遠くなりやすい。悔い改めや謙遜から遠くなりやすいためである。
「晩節をけがす」事件が世の中いつでも見られる。
ダビデのはずかしい姿は3,000年後の遠い外国にまで伝えられてしまった。
神の霊を中に宿すことにより神の愛の広さ長さ深さ広さを理解し、満ち満ちた姿にまで満たされること。それは5千人に食べさせ、風や自然現象までコントロールできる偉大な力を持っておられるキリストが、だれより謙遜であった姿が、私達の信仰者としての目標である。
8/01(金)19:30 定期集会 担当木下春樹牧師 サムエル下11章
8/03(日) 休会
8/08(金)19:30 木下春樹牧師担当 サムエル下12章
8/10(日)10:30 木下春樹牧師担当 サムエル下
8/15(金)19:30 木下春樹牧師担当 列王記
8/17(日)10:30 木下春樹牧師担当 〃
8/22(金)19:30 木下春樹牧師担当 列王記
8/24(日)10:30 木下友子牧師担当 〃
8/29(金)19:30 木下春樹牧師担当 雅歌
8/31(日)10:30 木下友子牧師担当 〃
<8>8>
ダビデは幼くしてゴリアテを倒すほどの天才的戦士。王室音楽家
そして戦術家にして国王、政治家としても一級、そして実績。
そのダビデが人生最大の大失敗、バテシバ事件。
神はその大失敗さえ用いて、ダビデを一級の信仰者と成長させる。キリストの家系にすらしてくださる。
ダビデは社会人としては、すでに成功者だが、信仰者としての成長はこれから。
人は偉大になるほど尊大になり謙遜や悔い改めは困難となる。
よってダビデは強烈な罪の誘惑に陥る
我々は実績を重ねた人は勿論、年を取るだけでも、社会からお世辞であっても一目置かれる。
それすなわち、神から自動的に遠くなりやすい。悔い改めや謙遜から遠くなりやすいためである。
「晩節をけがす」事件が世の中いつでも見られる。
ダビデのはずかしい姿は3,000年後の遠い外国にまで伝えられてしまった。
神の霊を中に宿すことにより神の愛の広さ長さ深さ広さを理解し、満ち満ちた姿にまで満たされること。それは5千人に食べさせ、風や自然現象までコントロールできる偉大な力を持っておられるキリストが、だれより謙遜であった姿が、私達の信仰者としての目標である。
Monday, May 05, 2014
2014.5月礼拝予定
5/2 金 19:30 木下春樹担当 福音と復活と力を得る
5/4 日 10:30 〃
5/9 金 19:30木下春樹担当
5/11日 10:30木下友子担当 ローマ書より
5/16金 19:30木下春樹担当
5/18日 10:30木下友子担当
5/23金 19:30木下春樹担当
5/25日 10:30 〃
5/30金 19:30木下春樹担当
5/4 日 10:30 〃
5/9 金 19:30木下春樹担当
5/11日 10:30木下友子担当 ローマ書より
5/16金 19:30木下春樹担当
5/18日 10:30木下友子担当
5/23金 19:30木下春樹担当
5/25日 10:30 〃
5/30金 19:30木下春樹担当
Friday, April 11, 2014
4/11 & 4/13 受難週礼拝 美しさへの洞察力
イザヤ53:1-12
ヨハネ18:1-19:42
「美しさへの洞察力」
今日の聖書箇所は大変長く、かつ大切なところであって、ゆっくりと何度も読みます。よって説教は極端に短くしないと、苦しむイエス様を前にゲッセマネのマネをしてしまうおそれがあります。
氷点の作者三浦綾子さんの生身に接したのは、明石での講演会が最初の最後でした。
まずご主人の光世さんが登場しました。
「綾子は大変弱っており、今も舞台袖で伏せています。
最近帯状疱疹を患いました。激痛を伴います。
顔が倍ぐらいに腫れ上がりました。
四谷怪談のお岩さんみたいと言うけど、お岩さんは顔の一部が崩れただけ、綾子は顔全部が崩れている。その苦しみに耐える姿に美しいものを見ました。」
どうですかこの愛妻家の達人。
今日のイエス様の姿は、見るに耐えない残酷にして忌まわしくもこれ以上ない汚さ。
ホーランド師の表現ではエゲツなく「ジーザスはフルチンでクソ、ションベン垂れ流し。鼻水もよだれも垂れ流し、」
エッケホモの画に描かれているのは、美しいイエスの顔。実際はあんなものではない。
でも私たちは信仰の目をもって、画家よりもっと美しいイエス様の十字架の姿をみることができます。優しさを見る事ができます。私のための苦しみだからです。
私が信仰を持った頃、羽鳥明&本田弘慈が2大伝道者でした。
本田先生は、最初からドカンドカンと大笑いをとり、最後に泣かせてしまう話術の名人でした。
泣かせる話としてよく使われたものを紹介します。
花子ちゃんのお母さんの顔は皮膚がひきつってる大きなやけど跡がありました。
花子ちゃんはそれを大変醜いと思い、恥ずかしくて自分の母親とは思いたくありません。
ある日学校に着いてから、大変な忘れ物を思いだして、本当に困ってしまいました。
しばらくしてお母さんが届けてくれたのですが、同級生がこそこそ話しているのを聞いてしまいました。
「今日ねすごい顔をしたおばちゃんが学校に来たけどあれはお化けかな」「おばけだよ」
「お化けだ、お化け」と学校中がその話題で持ち切りとなりました。花子ちゃんは、顔から火の出るような恥ずかしい思いでした。自分の母親とは絶対知られたくないと思いました。
家に帰ってから「おかあさん!恥ずかしいから学校に来ないでよ」
わすれものを届けてもらって助かったのに、恥ずかしい思いのほうが強かったのです。
それを見ていたお父さんが「花子。ちょっとこっちへおいで」
「どうしてお母さんがやけどしたかを話してなかったね。
花子がハイハイしはじめた頃、いつのまにかお鍋に近づき、とってを持って立ち上がろうとしたんだよ。お鍋がひっくり返って熱湯があふれて、お母さんがとっさに抱き上げたけど、熱湯はお母さんの顔にかかってしまったのだよ。でもお母さんは花子がやけどしなくて本当に良かったと喜んだんだ。」
花子ちゃんは外に飛び出して、しばらく号泣しました。
それ以来、「私の一番ステキなお母さんです。私をやけどから守ってくれた」と誰にも誇りをもって紹介しました。
自分に替わってのやけどの跡は美しく見えました。
私の罪の身代わりとして死んでくださったイエスさまの十字架に至る悲惨な姿は、なんと美しいでしょう。
ヨハネ18:1-19:42
「美しさへの洞察力」
今日の聖書箇所は大変長く、かつ大切なところであって、ゆっくりと何度も読みます。よって説教は極端に短くしないと、苦しむイエス様を前にゲッセマネのマネをしてしまうおそれがあります。
氷点の作者三浦綾子さんの生身に接したのは、明石での講演会が最初の最後でした。
まずご主人の光世さんが登場しました。
「綾子は大変弱っており、今も舞台袖で伏せています。
最近帯状疱疹を患いました。激痛を伴います。
顔が倍ぐらいに腫れ上がりました。
四谷怪談のお岩さんみたいと言うけど、お岩さんは顔の一部が崩れただけ、綾子は顔全部が崩れている。その苦しみに耐える姿に美しいものを見ました。」
どうですかこの愛妻家の達人。
今日のイエス様の姿は、見るに耐えない残酷にして忌まわしくもこれ以上ない汚さ。
ホーランド師の表現ではエゲツなく「ジーザスはフルチンでクソ、ションベン垂れ流し。鼻水もよだれも垂れ流し、」
エッケホモの画に描かれているのは、美しいイエスの顔。実際はあんなものではない。
でも私たちは信仰の目をもって、画家よりもっと美しいイエス様の十字架の姿をみることができます。優しさを見る事ができます。私のための苦しみだからです。
私が信仰を持った頃、羽鳥明&本田弘慈が2大伝道者でした。
本田先生は、最初からドカンドカンと大笑いをとり、最後に泣かせてしまう話術の名人でした。
泣かせる話としてよく使われたものを紹介します。
花子ちゃんのお母さんの顔は皮膚がひきつってる大きなやけど跡がありました。
花子ちゃんはそれを大変醜いと思い、恥ずかしくて自分の母親とは思いたくありません。
ある日学校に着いてから、大変な忘れ物を思いだして、本当に困ってしまいました。
しばらくしてお母さんが届けてくれたのですが、同級生がこそこそ話しているのを聞いてしまいました。
「今日ねすごい顔をしたおばちゃんが学校に来たけどあれはお化けかな」「おばけだよ」
「お化けだ、お化け」と学校中がその話題で持ち切りとなりました。花子ちゃんは、顔から火の出るような恥ずかしい思いでした。自分の母親とは絶対知られたくないと思いました。
家に帰ってから「おかあさん!恥ずかしいから学校に来ないでよ」
わすれものを届けてもらって助かったのに、恥ずかしい思いのほうが強かったのです。
それを見ていたお父さんが「花子。ちょっとこっちへおいで」
「どうしてお母さんがやけどしたかを話してなかったね。
花子がハイハイしはじめた頃、いつのまにかお鍋に近づき、とってを持って立ち上がろうとしたんだよ。お鍋がひっくり返って熱湯があふれて、お母さんがとっさに抱き上げたけど、熱湯はお母さんの顔にかかってしまったのだよ。でもお母さんは花子がやけどしなくて本当に良かったと喜んだんだ。」
花子ちゃんは外に飛び出して、しばらく号泣しました。
それ以来、「私の一番ステキなお母さんです。私をやけどから守ってくれた」と誰にも誇りをもって紹介しました。
自分に替わってのやけどの跡は美しく見えました。
私の罪の身代わりとして死んでくださったイエスさまの十字架に至る悲惨な姿は、なんと美しいでしょう。
Tuesday, March 18, 2014
2014,3,21&23 礼拝より
民21:7 燃える蛇を作り旗ざおの上につけよ。かまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。
ヨハ3:14 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。
それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。
エジプトの奴隷から、神の民としての自由人になろうとする時。敵もさるもの、巧妙な妨害をしかけてくる。
エジプト側のスパイが世論操作をして、それを真に受け手先になるイスラエルの民が増え、さしもの神の計画が破綻するかと思われた時、神の対処は単純すぎるものであった。
毒蛇がスパイと同調者を倒すというもの。
でも中には悔い改める者がいるし、蛇にとっては善人も悪人もない。
青銅の蛇を見上げる。この単純な行為は、神とモーゼを信じる証しである。たったそれだけ。何ら罰則なく精進努力も不要。
十字架を見上げる。それは神とイエス様の愛を受け入れる証し。
それだけで永遠のいのち?罪の罰もなく精進努力もない。単純すぎて、かえって信じられない。
昔、脚気は大変恐ろしい病であった。それが米を麥にするだけで簡単に治る、でも単純すぎて信じられず、相変わらず死ぬ人が多過ぎた。それも学識と権威が高い人ほど厄介だった。
現代の難病、癌も減食とお風呂だけで治る説がある。半信半疑。
マックスゲルソン、日野原重明、江部康二、南雲吉則ら天才的医師達は、これを実践して、驚異的若さを保っている。
信じないものは、すでに裁かれている。その結果は、生きる目的と喜びがわからない。
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