Saturday, February 07, 2015

2015/2/8礼拝メッセージより



ヨセフは兄弟たちの悪意と嫉妬で奴隷として売り飛ばされたのに、彼の信仰は高潔な人格となり、特殊な才能も得て、なによりよく働いて、信用を増し、30才にしてエジプトの総理大臣にまでなりました。
飢饉による食料不足を回避して、国民や外国人にも食料を提供し、絶大な権力と感謝と尊敬を得ました。
殺そうとした兄弟達に復讐することなく、兄弟達を救うために、神によってなされた計画と理解しました。見事に悪にたいして善をもって報復したわけです。

今、様々な悪で満たされた世界ですが、神はそれを放置されているわけではなく、計画をもって支配しておられます。
悪のなかでも最悪は、罪の報酬である死です。なんと最悪の死すら、栄光を迎えるためには必要とされました。一粒の麦が死んで豊かな実を結びます。
豊かな恵みを受け入れるためには、容器が空っぽにならなければなりません。
本当に大切なものを受け取るのに、ムダなもので手がふさがっていないでしょうか。金持ちが天国に入るのは、らくだが針穴より入るよりむずかしいのです。
アッシジのフランチェスコは祈ります
「主よ、慰められるよりも慰め、理解されるより理解し、愛されるよりも愛することを求めさせてください。
なぜならば、与えることで人は受け取り、己を忘れることで人は見出し、許すことで人は許され、死ぬことで人は永遠の命に復活するからです。」

また悪と思われる嫌な人、憎い人に対して、敢然と戦わねば自分が滅ぼされてしまうか、反対にパウロのように、敵であっても後に大切な働き人になって、やがて自分のために押しつけ揺すり入れて、与えてくれる大切な人かもしれません。その判断はむずかしいのです。結論しないで済むなら幸いです。
悪人にも恵みを与え雨を降らせてくださる神の姿をイエス様の姿より学び、神のかたちに作っていただいた我々にふさわしい姿に一歩近づけますよう。

Tuesday, February 03, 2015

2015/2/1 礼拝

イスラム国のテロ事件が世界を騒がせています。
かつては貧困故のテロであり、ジハードで殺すのは異教徒でもイスラム教徒でも、自分は死んだら天国で、食べ放題、一夫多妻の生活ができると、完全に自己中心的動機を神のためなのに神に仕えると偽っての行動でした。
現在のは、豊かな国で育って、ある意味エリートとして育ったけれど、西欧先進国のあり方に挑戦しているといった、複雑な動機であり、我々には理解不能です。

 「さて金持ちケンカせず」という格言のもともとの意味は不明ですが、経済的余裕から人間的余裕となるのでしょうか。豊かでエリートテロリストには当てはまらないようですが。
愛の人になるにもステップがあります。
靴を脱いだら揃える、人の履物もそろえる、それが習慣になって無意識にやるようになって本物。やがて人の犠牲になってもそれが喜びとなる「聖人」の域に達するかもしれません。
愛の行為は救いを求める条件ではありません。それだと単なる商取引。
救いは、我々がまだ罪人であった時、それどころか、2千年前に行われています。
大きな愛を受けていることを実感した人は、感謝の思いで愛の行為が可能です。

綾小路きみまろ師匠の基本ネタ。「あれから40年」。夫婦の愛は40年もたない話ばかり。
「ちょっと太ったかしら。背中のホックがかからない。あなた昔、私のために命をかけると言ったじゃない。背中のホックぐらいかけてよ!」
純粋な気持ちで、「命をかける」と思ったのは事実でしょう。でも人の愛は限界があります。神の愛とは比べ物にならないのです。

 神の愛は人の愛と、全く比べ物になりません。
永遠の愛を誓って結婚してすぐ離婚。見返りを求める愛。
「愛着」などと言うように、人愛は独占欲も含まれます。
神の愛では、我々の魂は、エレミアのように、物質のできる前から、神に愛されています。(エレ1:5、参エペ1:4、箴8:22)
肉体が必要とする衣食住すなわち富や名声、栄誉は50年〜100年で不要となります。
百年や千年の単位で人生を考えるのは普通です。
永遠の昔から永遠の未来まで愛されている我々は永遠の単位で考えるべきです。

永遠単位といえば壮大な感じで、実生活に関係ない印象があります。
しかし日々の生活の中に永遠の単位で判断する習慣を持ちましょう。
確かに複雑なのは、衣食住に多少なりとも余裕が持てる我々なのに、引きこもりやニートに流れる生命力に乏しい人達を輩出している理由を求められています。イスラム過激派と共通するものもあるのでしょうか。
せめて今週も一歩愛の人に近づけることを。




Tuesday, December 09, 2014

2014.12/5&7 礼拝


2014.12.5(金)& 30(日) アドベント第二日曜礼拝式次第


主題聖句完成させてくださることを私は堅く信じている
賛美歌   94
ヘブル聖書 マラキ 3:1-4
主の祈り
ニカイア信条
ルカ    1:68-79
賛美歌   95
使徒書簡  ピリピ  1:3-11
福音書   ルカ3:1-6
説教    「すでに救い主は来られ、救いのわざもなされた
賛美歌   174
頌栄       546
祝祷

今週はザカリアの歌をもって信仰の励ましを頂きます。
ルカ1:68はラテン語でベネディクテュスとよばれ、同じく1:46のマリアの賛歌はマニィフィカートと呼ばれます。
いずれも多くの作曲家が使って名作を書き上げています。
二つとも神への賛美から始まっています。
信仰的に成熟した人は、第一声は、自分の本音ではなく、賛美から始まる事に表れます。イエス様が教えてくださった祈りの模範「主の祈り」も、呼びかけるとまず賛美です。

現実的にも見てみましょう。まずザカリアは突然天使を見ました。これは誰でもビックリでしょう。オバケと思うでしょう。恐怖です。神を見ると死ぬのでこれまた恐怖です。彼はしるしを求めました。並の人間には当然過ぎることです。ギデオンもしるしを求めて、神に叱責を受けなかったことを知っているでしょう。しるしは、神の裁きと訓練も兼ねて突発性聾唖となりました。
沈黙の中で、ザカリアの信仰は成長していきます。

マリアも、突然身に覚えのない妊娠に驚きます。天使ガブリエルが伝えてくれても、初めての天使との出会いです。何が何だかわからないはずです。ザカリアより乙女の素直さが勝っていますので、恐怖はザカリアより少なく、しるしを求めていません。
でも並の乙女なら、聖霊による妊娠など誰が信じてくれようか、婚約者も信じてくれないだろう。世間に知れると石打ちの死刑が待っている。
でもマリアは平安でした。これは信仰の訓練というより、素直な信仰です。

我々の時代には進化論が一般化され、時間経過とともに進歩が当然という迷信がはびこりました。社会共産主義に採用され、社会も進歩するという迷信です。
進歩するということは、ムカシの人はバカであるという前提になります。
成長するということは、若い者はバカであるという前提になります。
人と社会はバベルを塔を作れるだけの科学技術的進歩もあるが堕落がある。
聖書では何度も何度も警告をしているのに、天に届くかとバベルの塔をせっせと作っている人類社会。何の進歩もなかった。

信仰のプロである祭司ザカリア。右も左もわからない乙女マリア。ここにおいては、無知でも無垢なマリアのほうが評価されている気がします。
さて、信仰は競争ではないので、どちらがエライというものではなく、二人とも第一声が賛美であることがすばらしい。

どんなに困難があろうと、その背後には神の守りがあります。
ヨブがサタンに痛めつけられても、背後で神がサタンをコントロールしていることを、我々は聖書によって知らされていいます。
キリストの十字架で、我々は罪許されて、永遠の命を保証されていることを知っています。

一日の始まり、仕事や勉強の始まり、困ったことや心配があった時、つらい事苦しいことがあった時、何はともあれ、まずは賛美することから始めれば、勝利ある人生です。


Friday, November 28, 2014

2014.11.28(金)& 30(日) アドベント第一日曜礼拝式次第


主題聖句力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来る
賛美歌   320
ヘブル聖書 エレミア 33:14-16
主の祈り
ニカイア信条
詩編    25:1-10
賛美歌   95
使徒書簡  Ⅰテサロニケ  3:9-13
福音書   ルカ21:25-36
説教    「何を喜ぶべきか」
賛美歌   174
頌栄       546
祝祷

日本ハリストス正教会「天主経」[編集]

てんいまわれちちや。
ねがはくなんぢせいとせられ。
なんぢくにきたり。
なんぢむねてんおこなはるるがごとく、
にもおこなはれん。
にちようかてこんにちわれあたたまへ。
われおひめあるものわれゆるすがごとく、
われおひめゆるたまへ。
われいざなひみちびかず、
なほわれきょうあくよりすくたまへ。
けだくに權能けんのう光榮こうえいなんじちち聖神゜せいしんす、
いま何時いつ世々よよに。「アミン」。
カルケドン信条

われわれはみな、教父たちに従って、心を一つにして、次のように考え、宣言する。
われわれの主イエス・キリストは唯一・同一の子である。同じかたが神性において完全であり、この同じかたが人間性においても完全である。
同じかたが真の神であり、同時に理性的霊魂と肉体とからなる真の人間である。
同じかたが神性において父と同一本質のものであるとともに、人間性においてわれわれと同一本質のものである。「罪のほかはすべてにおいてわれわれと同じである」[1]
神性においては、この世の前に父から生まれたが、この同じかたが、人間性においては終わりの時代に、われわれのため、われわれの救いのために、神の母[2]、処女マリアから生まれた。
彼は、唯一・同一のキリスト、主、ひとり子として、
二つの本性において混ぜ合わされることなく、変化することなく、分割されることなく、引き離されることなく知られるかたである。
子の結合によって二つの本性の差異が取り去られるのではなく、むしろ各々の本性の特質は保持され、
唯一の位格[3]、唯一の自立存在[4]に共存している。
彼は二つの位格に分けられたり、分割されたりはせず、
唯一・同一のひとり子、神、ことば、イエス・キリストである。
エレミア33
14 「見よ。その日が来る。―の御告げ―その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家に語ったいつくしみのことばを成就する。
15 その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を芽ばえさせる。彼はこの国に公義を正義を行う。
16 その日、ユダは救われ、エルサレムは安らかに住み、こうしてこの町は、『は私たちの正義』と名づけられる。」


テサロニケ3
9 私たちの神の御前にあって、あなたがたのことで喜んでいる私たちのこのすべての喜びのために、神にどんな感謝をささげたらよいでしょう。
10 私たちは、あなたがたの顔を見たい、信仰の不足を補いたいと、昼も夜も熱心に祈っています。
11 どうか、私たちの父なる神であり、また私たちの主イエスである方ご自身が、私たちの道を開いて、あなたがたのところに行かせてくださいますように。
12 また、私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。
13 また、あなたがたの心を強め、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒とともに再び来られるとき、私たちの父なる神の御前で、聖く、責められるところのない者としてくださいますように。


ルカ21
25 そして、日と月と星には、前兆が現れ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、
26 人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。
27 そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。
28 これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」
29 それからイエスは、人々にたとえを話された。「いちじくの木や、すべての木を見なさい。
30 木の芽が出ると、それを見て夏の近いことがわかります。
31 そのように、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近いと知りなさい。
32 まことに、あなたがたに告げます。すべてのことが起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。
33 この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
34 あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。
35 その日、全地の表に住むすべての人に臨むからです。
36 しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」

Wednesday, November 19, 2014

2014 11/21&11/23 礼拝


主題聖句真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。
賛美歌   320
ヘブル聖書 Ⅱサムエル 23:1-7
主の祈り
ニカイア信条
詩編    132:1-12
賛美歌   Ⅱ-100
使徒書簡  黙示  1:4-8
福音書   ヨハネ18:33-37
説教    「朝の光に輝く雨後の若草」
賛美歌   502
頌栄       546
祝祷

日本ハリストス正教会「天主経」[編集]

てんいまわれちちや。
ねがはくなんぢせいとせられ。
なんぢくにきたり。
なんぢむねてんおこなはるるがごとく、
にもおこなはれん。
にちようかてこんにちわれあたたまへ。
われおひめあるものわれゆるすがごとく、
われおひめゆるたまへ。
われいざなひみちびかず、
なほわれきょうあくよりすくたまへ。
けだくに權能けんのう光榮こうえいなんじちち聖神゜せいしんす、
いま何時いつ世々よよに。「アミン」。
カルケドン信条

われわれはみな、教父たちに従って、心を一つにして、次のように考え、宣言する。
われわれの主イエス・キリストは唯一・同一の子である。同じかたが神性において完全であり、この同じかたが人間性においても完全である。
同じかたが真の神であり、同時に理性的霊魂と肉体とからなる真の人間である。
同じかたが神性において父と同一本質のものであるとともに、人間性においてわれわれと同一本質のものである。「罪のほかはすべてにおいてわれわれと同じである」[1]
神性においては、この世の前に父から生まれたが、この同じかたが、人間性においては終わりの時代に、われわれのため、われわれの救いのために、神の母[2]、処女マリアから生まれた。
彼は、唯一・同一のキリスト、主、ひとり子として、
二つの本性において混ぜ合わされることなく、変化することなく、分割されることなく、引き離されることなく知られるかたである。
子の結合によって二つの本性の差異が取り去られるのではなく、むしろ各々の本性の特質は保持され、
唯一の位格[3]、唯一の自立存在[4]に共存している。
彼は二つの位格に分けられたり、分割されたりはせず、
唯一・同一のひとり子、神、ことば、イエス・キリストである。
Ⅱサムエル23:
1 これはダビデの最後のことばである。エッサイの子ダビデの告げたことば。高くあげられた者、ヤコブの神に油そそがれた者の告げたことば。イスラエルの麗しい歌。

2 「の霊は、私を通して語り、そのことばは、私の舌の上にある。

3 イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、

4 太陽の上る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らすようだ。』

5 まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。

6 よこしまな者は、いばらのように、みな投げ捨てられる。手で取る値うちがないからだ。

7 これに触れる者はだれでも、鉄や槍の柄でこれを集め、その場で、これらはことごとく火で焼かれてしまう。」

黙示1

4 ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、後に来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、

5 また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、

6 また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。

7 見よ。彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。

8 神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」

ヨハネ18:
33 そこで、ピラトはもう一度官邸に入って、イエスを呼んで言った。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」

34 イエスは答えられた。「あなたは、自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなたにわたしのことを話したのですか。」

35 ピラトは答えた。「私はユダヤ人ではないでしょう。あなたの同国人と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのです。あなたは何をしたのですか。」

36 イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」

37 そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」