Saturday, March 01, 2008

冷静に考えれば

葬儀の目的
それはいのちの大切さを実感して、今の自分を大切にする機会
そして遺族を「一人でない。孤独でない」ことを知らせ、慰め、再び立ち上がる力を養う。
そして慰霊
ここではずるい人のやりたい放題
考えてください
どんな霊能力があっても、人の魂を、左右できると思いますか?
迷える魂を救えるのは、神以外にありません。
墓石屋やオガミ屋にできるでしょうか?
金を払って、墓石や僧侶を雇えば天国に行けるのですか?
先祖供養が足りないからと、子孫を呪い祟る先祖がいますか?
自分が先祖なら、まずできの悪い子孫こそ守るでしょう。

人の弱みにつけ込み利益を上げることは、許せません。
大切な家族の死という混乱に乗じて、利益を上げることが許せません。

私の宗教家としての仕事は、教会形成や教会経営より、こういった大きな社会問題に風穴を開けること。
どうも多くの人が、自分で考えるより、「世間並み」が大切なようです。
その世間並みが、こうして携わってみると、みんな業者の「赤子の手をひねる」行為の被害者。

誕生石もスゥィートテンも宝石組合の決めたこと。
半返しも贈答屋の決めたこと
香典の本当意味は、大切な人の死を悼む時間、経済的心配を和らげるための助け合い。
業者がごそっと持ち帰ります。
みなさん黙って従います
なぜでしょう?

何と言っても冷静でおられる普段に死を考えることを避けることが災いしています。