Sunday, August 10, 2008

愛されるため産まれる

ネイティブアメリカンの言い伝えらしいのですが、
「人は大勢の笑顔に囲まれ、本人は泣いて産まれる。そして大勢の泣き顔に囲まれ、本人は笑顔で死んでいくのが理想」
おお〜!素晴らしい宗教。

「宗教」を辞書でひくと「根本の教え」
英和辞典で「レリジョン」をひくと「頑固にこだわる主義」といった意味。
そう翻訳されるからには、当然、日本語にも英語の意味があるわけです。

根本的な教えなら、「人はなぜ生きる」という基本的疑問に一言で答えられなければ、宗教ではありません。
ただの頑固。
宗教という言葉が、実にいかがわしいニュアンスがあるのは、レリジョンに偏っているせいでしょう
政治的後ろ盾をもった「権威」マジック的能力での「神秘」
大きな宗教団体は、この権威と神秘、それに伝統。
これは卑怯です。
なおこの「ひきょう」ということばは、欧米人に、なかなか理解できないそうですが。

わがキリスト教の宗教、一言で根本の教えというと
「人は人と神を愛し、愛されるために産まれ、生きる」
これは
「隣人を愛するのが最も大切な律法」とキリストは言われたからです。

これは私なりの結論ですので、クリスチャンの皆さん、チェックください。
これでいいでしょうか?
いいとなると、「十字架を信じて天国に行ける」「富、健康、権力が得られる」ことは、自己中心から出ていませんので、末端のことと言えます。
他宗教や他宗派と戦うのも、末端のことでしょう?
これを口にすると、教会では、かなりひんしゅくものですが。

自分の命より大切な家族が、あるいは自分が、この世から卒業するのは、今日、明日かもしれません。
やるべきことを果たした満足感からの笑顔と、愛されたあかしとしての涙に囲まれた最後とするため今この瞬間を大切にしたいと思います。