Friday, December 13, 2013

本日より金曜安息日夕拝


本日は第一回金曜安息日礼拝です。
イエス様時代では一日の始まりは、今より6時間ほど早くて、日没からスタートです。
土曜日の始めは、まさに週末安息日の皮切りです。
「安息日を覚えてこれを聖なる日とせよ」
春樹は生きている間は基本的に日曜礼拝を大切にし、同様に「どこにあっても」「一人だけでも」を原則とすると容易なので定期礼拝として続けるつもりです。
伝道旅行から逃げ帰るマルコも後に成長しました。バプテスマのヨハネもイエス様に「女から生まれた者の中で、彼より優れた…」と評価されました。
皆、自分の使命を全うできたのです。
小さな働きと思える事も、神様の計画の一部を担っているとして、責任とほこりと喜びをもって進めます。

本日の説教アウトライン
劇作家のオスカーワイルド(1854-1900)は数々の格言を残している。
「自分らしくあれ。ほかの人の席はすでに埋まっているのだから」
音楽表現訓練として、若い時は巨匠のコピーから始まり、あるときからオリジナリティを出す。
ところが私の若い頃、巨匠達のすごさに圧倒され、自分のオリジナリティなどまるでわからなくなった。
説教学の授業では、A+とかB−とかの評価が出される中で、私は、名説教家を引用したら、0点がついた。「あなたのコーリングは何ですか?召しがあるなら、引用ではなく聖書から直接メッセイージを引き出すよう」と教えられました。でオリジナリティにこだわった。
そして最近ユダヤのラビ教育の話を聞いた。
聖書は全部暗記のほか、軽トラ一台分あろうかという膨大な伝承の学びがある。
ラビの話を一言も漏らさず聞き覚え、忠実に次世代につなげるというもの。
引用はなるべく避けるように考えていたけれど、先輩牧師の解釈や名説教を忠実に伝えるのも、大切な使命であり、そこにも個性が発揮されるので、自分の個性を意識しないのも使命に答える方法であることを自戒。
自分の考えを排除したような中にも、その人の個性は神に用いられ、個性を排除できないので、最適な主の仕事を為して行けるという。

イエス様もヨハネも万単位の大集団を形成した。
両派の間にも嫉妬やライバル心が芽生えた。
しかしヨハネはイエス様の偉大さを伝えるのが使命であり、その働きを忠実になし、ヘロデに殺されながらも、先駆けという使命は全うできた。
マルコも大伝道者となる環境にありながら、落ちこぼれた感もあり、でも結局は聖書記者という最も偉大な者となれた。

聖書には4000年間の神の計画執行の記録がある。
人類が勝手なことをやりながら、神の計画は着実に進んでいる。
人類の歴史を動かしてたのは、忠実にして個性を用いられる神の知恵が示されている。