Thursday, October 30, 2014

2014/10/31(金)&11/02 礼拝



主題聖句  「この二つより大事な命令は、ほかにはありません
賛美歌   Ⅱ-185
ヘブル聖書 ルツ1-18
主の祈り
ニカイア信条
詩編    146
賛美歌   367
使徒書簡  ヘブル9:11-14
福音書   マルコ12:28-34
説教    「むずかしい和解も仲介で」
賛美歌   236
頌栄     546
祝祷

カトリック& 聖公会共同訳「主の祈り」
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように、
み国が来ますように、
み心が天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン


ニカイヤ信条
我らは、唯一の全能の父なる神、すべて見えるものと見えざるものの創造者を信ずる。
また我らは、主イエス・キリスト、神の御子、御父よりただ独り生まれたるもの、神より出でたる神、光より出でたる光、真の神より出でたる真の神、造られず、聖父と同質なる御方を信ずる。その主によって、万物、すなわち天にあるもの地にあるものは成り、また主は、我ら人間のため、我らの救のために降り、肉をとり、人となり、苦しみ、三日目に甦えり、天に昇り、生きている者と死んでいる者とを審くために来たり給うのである。
我らは聖霊を信ずる。主の在し給わなかった時があるといい、生まれ給う前には主は在し給わなかったといっている者ら、または、異なった存在または本質から出でたもの(被造物)といい、変質し異質となり得る御方であると語る者を、公同かつ使徒的なる教会は呪うものである。

ルツ1:
1 さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。

2 その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、

3 ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。

4 ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。

5 しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。

6 そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとした。モアブの野でナオミは、がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いたからである。

7 それで、彼女はふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についた。

8 そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家に帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、があなたがたに恵みを賜り、

9 あなたがたが、それぞれの夫の家で平和な暮らしができるようにがしてくださいますように」と言った。そしてふたりに口づけをしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。

10 ふたりはナオミに言った。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」

11 しかしナオミは言った。「帰りなさい。娘たち。なぜ私といっしょに行こうとするのですか。あなたがたの夫になるような息子たちが、まだ、私のお腹にいるとでもいうのですか。

12 帰りなさい。娘たち。さあ、行きなさい。私は年をとって、もう夫は持てません。たとい私が、自分には望みがあると思って、今晩でも夫を持ち、息子たちを産んだとしても、

13 それだから、あなたがたは息子たちの成人するまで待とうというのですか。だから、あなたがたは夫を持たないままでいるというのですか。娘たち。それはいけません。私をひどく苦しませるだけです。の御手が私に下ったのですから。」

14 彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついていた。

15 ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」

16 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。

17 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、が幾重にも私を罰してくださるように。」

18 ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった。


ヘブル9:
11 しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、

12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

13 もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、

14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離させ、生ける神に仕える者とすることでしょう。


マルコ12:
28 律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」

29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。

30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにはありません。」

32 そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない』と言われたのは、まさにそのとおりです。

33 また、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして、主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」

34 イエスは、彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者がなかった。



Saturday, October 25, 2014

2014,10.26 礼拝 ヨブ記「世俗的祝福」

日本映画最大傑作の一つはゴジラですが、一作目の最後は「原爆実験を続けると次のゴジラが現れる」と不気味なセリフで終わり、後味を残します。
ハリウッドで編集されると、単なるハッピーエンドとなり、スッキリと終わります。
でも安易なハッピーエンドは、なんだか安っぽく感じるのは私だけでしょうか。

宗教は、「良いことをした人は天国、悪い人は地獄」と単純なものがウケが早いようです。もっと露骨に、「信仰熱心で寄進が多ければ、健康や経済がよくなり、不熱心は不幸になる」となると、安っぽく多くの人が集まる宗教ができます。

ヨブ記は、信仰熱心で最高に良い人が、だれより苦しい目に会うという、理不尽きわまりない話です。
1章2章では、苦難の最中ながら「裸で生まれ裸で死ぬ」「神は恵みをくださるから災いも受け取るべき」と、単純でも人類として最高の悟りの境地に達したヨブの聖人と言える崇高な姿があります。見た目はおぞましく醜い容姿でありながらです。
 最初にヨブ記を教えてくださった牧師は「まだヨブ記の最初ということは、この程度のことは並のクリスチャンなら誰でも達する境地」と驚かせてくれました。
ヨブ記本論は42章まで続くわけです。

そのほとんどは、ヨブを思う親友とヨブの議論です。最後に神がことばが発せられ、正しいと思われたことばを全て否定されます。特に因果応報的考え方を否定されます。
神に苦しみをぶっつけたヨブは正しいとされます。
じつに深い真理があり、それを「神の深さ広さがあることは絶対悟れないと悟ること」を求められます。
ところが最後は、「前の倍以上の財産ができて、家族も増えて、娘は美人」と、まるで、ハリウッド映画以上の、安っぽいハッピーエンドに、少しがっかりもします。

ところで、我々の現実生活は、映画のストーリーではありません。
はっきり言って、地位も名誉も富も長寿も家族の幸いもほしい。
そして神は祝福として、それらを必要に応じて、お与えくださいます。
我々は、年中高尚な理念ばかりで生きてるわけでなく、毎日俗っぽい事柄ばかりに、身をおいて労しているのです。
神が恵みとしてくださった、この現実、俗世、この体、この容姿、健康状態こそ、大切にすべきであり、神の祝福もそこに重点があることを感謝すべきであります。
そして、その次に、信仰が成長すれば、パウロやペテロのように、地位や名誉は富は、ちりあくたに見えて、いのちも惜しまないほど、キリストに仕える喜びを知ることとなります。地位、名誉を積み重ねた所はゴミ屋敷であると思えるほど成長するのです。

とはいえ「並のクリスチャン」に達しているかいないかの信仰初心者の我々は、どちらかというと、ゴミ屋敷を作りたいし。いのちをも惜しまないほどの成長はそれほどしたくない気持ちがあります。ありませんか?
とりあえず日常の衣食住の平凡な恵みに感謝し、やがて程度の差はあっても、誰にも訪れる理不尽な苦難を、岩の上に人生の家を建てて、それを成長の肥やしとして、成長することができるよう、祈りをもって、今週の旅路に歩み出しましょう。




2014,10,24(金)19:30&26(日)礼拝


主題聖句  「前の半生よりあとの半生をもっと祝福された
賛美歌   Ⅱ-185
ヘブル聖書 ヨブ42:1-17
主の祈り
ニカイア信条
詩編    34:1-8
賛美歌   322
使徒書簡  ヘブル7:23-28
福音書   マルコ10:46-52
説教    「祝福としての豊かさ」
賛美歌   367  
頌栄     546
祝祷

カトリック& 聖公会共同訳「主の祈り」
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように、
み国が来ますように、
み心が天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン


ニカイヤ信条
我らは、唯一の全能の父なる神、すべて見えるものと見えざるものの創造者を信ずる。
また我らは、主イエス・キリスト、神の御子、御父よりただ独り生まれたるもの、神より出でたる神、光より出でたる光、真の神より出でたる真の神、造られず、聖父と同質なる御方を信ずる。その主によって、万物、すなわち天にあるもの地にあるものは成り、また主は、我ら人間のため、我らの救のために降り、肉をとり、人となり、苦しみ、三日目に甦えり、天に昇り、生きている者と死んでいる者とを審くために来たり給うのである。
我らは聖霊を信ずる。主の在し給わなかった時があるといい、生まれ給う前には主は在し給わなかったといっている者ら、または、異なった存在または本質から出でたもの(被造物)といい、変質し異質となり得る御方であると語る者を、公同かつ使徒的なる教会は呪うものである。

ヨブ42:1-17
1 ヨブはに答えて言った。

2 あなたには、すべてができること、あなたはどんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。

3 知識もなくて、摂理をおおい隠す者は、だれか。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。

4 さあ聞け。わたしが語る。わたしがあなたに尋ねる。わたしに示せ。

5 私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。

6 それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています。

7 さて、がこれらのことばをヨブに語られて後、はテマン人エリファズに仰せられた。「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。それは、あなたがたがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったからだ。

8 今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブのところに行き、あなたがたのために全焼のいけにえをささげよ。わたしのしもべヨブはあなたがたのために祈ろう。わたしは彼を受け入れるので、わたしはあなたがたの恥辱となることはしない。あなたがたはわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったが。」

9 テマン人エリファズと、シュアハ人ビルダデとナアマ人ツォファルが行って、と彼らに命じたようにすると、はヨブの祈りを受け入れられた。

10 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、はヨブの繁栄を元どおりにされた。はヨブの所有物もすべて二倍に増やされた。

11 こうして彼のすべての兄弟、すべての姉妹、それに以前のすべての知人は、彼のところに来て、彼の家で彼とともに食事をした。そして彼をいたわり、が彼の上にもたらしたすべてのわざわいについて、彼を慰めた。彼らはめいめい一ケシタと金の輪一つずつを彼に与えた。

12 はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。それで彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。

13 また、息子七人、娘三人を持った。

14 彼はその第一の娘をエミマ、第二の娘をケツィア、第三の娘をケレン・ハプクと名づけた。

15 ヨブの娘たちほど美しい女はこの国のどこにもいなかった。彼らの父は、彼女たちにも、その兄弟たちの間に相続地を与えた。

16 この後ヨブは百四十年生き、自分の子と、その子の子たちを四代目まで見た。

17 こうしてヨブは老年を迎え、長寿を全うして死んだ。 


ヘブル7
23 また、彼らの場合は、死ということがあるため、務めにいつまでもとどまることができず、大ぜいの者が祭司となりました。

24 しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。

25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。

26 また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。

27 ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。

28 律法は弱さを持つ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た誓いのみことばは、永遠に全うされた御子を立てるのです。


マルコ10
46 彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群集といっしょにエリコを出られると、テマイの子バルテマイという盲人の物ごいが、道ばたにすわっていた。

47 ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び始めた。

48 そこで、彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめたが、彼はますます、「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。

49 すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている」と言った。

50 すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐに立ち上がって、イエスのところに来た。

51 そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」

52 するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。

Friday, October 17, 2014

あまりにも大きいゆえに、深いゆえに理解不能はあたりまえ

指揮者の故岩城宏行の言葉ですが、「僕はずっと野球選手になりたくて努力していた。本気だった。でもなれなかった。でも指揮者になれた。指揮者になりたくて本気で努力している人が多いけど、なりたくてなれるものでもない」
世俗の職業でも、才能と努力、その前に熱い熱意、認めたくはないが確かに強運も必要。

イエス様の弟子達は、どのような動機で弟子になったかは様々だろうが、ほとんどが、イエス様の方から誘いがあったので、本来選択ミスはないはずである。

その弟子達が親の力まで借りて、ポジション争いを始めた。
ヤコブとヨハネは、霊的指導を受けながら、地上的地位を求めた。
霊的、地上的に関わらず、熱心に求めればいいわけではない。
たしかに神は動機も与えてくださる。でもそれは自分の欲求からのものかどうかは、長期間経たないと不明なことが多い。

夏目漱石の小説「こころ」がここ数日話題になった。
自殺者のこころを理解していく過程。ほぼ理解したと思える時点で、まったくわからなくなって終わる。
宇宙の研究もずいぶん深くなったが、深くなればなるほど、わからなくなる。
どんな宗教の信仰の道でも知れば知るほどわからなくなるもの。
我々の信仰も知れば知るほどわからなくはなるが、ただし、感謝と喜びが無限大となる。

神は主権を持っておられる。我々の思い通りにはならない。
その御意志、みこころはわからないことがほとんどである。
こんなに恵まれていいのであろうかという、肯定的疑問。
神がいるのになぜこんな苦しみがという、否定的疑問。



 神は我々を様々なポジションに召し、それにふさわしい訓練、試練がある。
この時点では、なにもわかってなかった弟子達。
イエス様の杯を飲むと、かなり軽はずみな答えをしている。

やがてヤコブは殉教第一号となり、ヨハネは比較的長生きをするも、パトモス島に流され苦しい最後となった。ペテロもパウロも殺された。
イエスさまの杯を飲む事となった。
しかし、そこには「イエスさまに仕えているのになぜこんな苦しみを」と嘆く姿はない。
かえって苦難をよろこんでいるようにすら見える。
イエス様の弟子になったことを悔いる人は皆無だった。

Sunday, October 12, 2014

2014.10.17(金) & 19(日)礼拝予定案


網干キリスト教会 2014.10.17(金)19:30 &10.19(日)10:30 礼拝式次第

主題聖句  「それに備えられた人々があるのです」
賛美歌   Ⅱ-185
ヘブル聖書 ヨブ38:1-7
主の祈り
ニカイア信条
詩編    104:1-35
賛美歌   Ⅱ-196
使徒書簡  ヘブル5:1-10
福音書   マルコ10:35-45
説教    「あまりにも大きく、深いので理解不可はあたりまえ」
賛美歌   280  
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頌栄     546
祝祷

カトリック& 聖公会共同訳「主の祈り」
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように、
み国が来ますように、
み心が天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

ニカイヤ信条

我らは、唯一の全能の父なる神、すべて見えるものと見えざるものの創造者を信ずる。
また我らは、主イエス・キリスト、神の御子、御父よりただ独り生まれたるもの、神より出でたる神、光より出でたる光、真の神より出でたる真の神、造られず、聖父と同質なる御方を信ずる。その主によって、万物、すなわち天にあるもの地にあるものは成り、また主は、我ら人間のため、我らの救のために降り、肉をとり、人となり、苦しみ、三日目に甦えり、天に昇り、生きている者と死んでいる者とを審くために来たり給うのである。
我らは聖霊を信ずる。
主の在し給わなかった時があるといい、生まれ給う前には主は在し給わなかったといっている者ら、または、異なった存在または本質から出でたもの(被造物)といい、変質し異質となり得る御方であると語る者を、公同かつ使徒的なる教会は呪うものである。

ヨブ38
はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。

2 知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。

3 さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。

4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。

5 あなたは知っているか。だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に張ったかを。

6 その台座は何の上にはめ込まれたか。その隅の石はだれが据えたか。

7 そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子たちはみな喜び叫んだ。


ヘブル5:1-10

1 大祭司はみな、人々の中から選ばれ、神に仕える事がらについて人々に代わる者として、任命を受けたのです。それは、罪のために、ささげ物といけにえとをささげるためです。

2 彼は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです。

3 そしてまた、その弱さゆえに、民のためだけでなく、自分のためにも、罪のためのささげ物をしなければなりません。

4 まただれでも、この名誉は自分で得るのではなく、アロンのように神に召されて受けるのです。

5 同様に、キリストも大祭司となる栄誉を自分で得られたのではなく、彼に、「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」と言われた方が、それをお与えになったのです。

6 別の個所で、こうも言われます。「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」

7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。

8 キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、

9 完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、

10 神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。

マルコ10:

35 さて、ゼベダイのふたりの子、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。「先生。私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います。」

36 イエスは彼らに言われた。「何をしてほしいのですか。」

37 彼らは言った。「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」

38 しかし、イエスは彼らに言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。あなたがたは、わたしの飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとするバプテスマを受けることができますか。」

39 彼らは、「できます」と言った。イエスは言われた。「なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。

40 しかし、わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません。それに備えられた人々があるのです。」

41 十人の者がこのことを聞くと、ヤコブとヨハネのことで腹を立てた。

42 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。

43 しかし、あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。

44 あなたがたの間でひとの先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。

45 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人たちのための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」

神がいるのになぜ苦しみがあるのか。

ドラマや物語りでの悲しい話には、感動があります。
感動の源は、希望でしょう。
 私にとってそれらのお話の中で、両親をなくし、自分も幼いのにもっと幼い弟、妹を守ろうとする話は、自分が話していても、涙ぐんできて、上手に話せなくなってしまいます。
 テレビで見たドラマですが、終戦を外地で迎え、父親が殺され、日本に引き上げようとするも、母親が病死して、7才くらいの長男が小さなシャベルで埋葬します。
まだ死の意味がわからない3才くらいの妹が「なぜお母さんを埋めるの。お兄ちゃんのバカア〜!」とお兄ちゃんに砂をかけながら叫ぶ話など、今、これを書きながら涙ぐんできました。
野坂昭如の「ほたるの墓」などは、懸命の努力をしながら、妹は病死し、本人も死ぬという救いのない話ながら、いのちの尊さを訴える感動があります。

ヨブ記は壮大なドラマ、また壮大な神の計画が記されています。
私はヨブ記を学んだ時、現実の不条理を正面から捉え、安易な因果応報話に持ち込まない、これこそ神のメッセージであると確信しました。

神には人が作った神と人を作った神があります。
人が作った哲学を積み重ねていって高くなった宗教と、人を作ってくださった方のメッセージが上から下ってきたものとがあります。

人が作った宗教は、当然学べば理解できます。
しかし、日常起こる理不尽な事は理解不能なことばかりです。
ニュース解説で有識者と言われる人が、事件の背景などの解説をしますが、そのほとんどは的外れなのは、彼の知る領域が「専門」と言われるほど、狭いゆえです。

ヨブの体験したことは、どんなお話より悲惨にして悲しい話です。
しかしホタルの墓ほど悲しく感じないのはなぜでしょう。
現実の話なのに。

一つは暴れまくるサタンを神がチャンと支配しておられることです。
「命までうばってはならぬ」に、サタンも背けません。
「何の理由もなく彼を滅ぼそうとするのか」(2:3)と、神はサタンに怒ります。
因果応報が全てではありません。
読者の我々は、神が私達を守って、サタンをコントロールしている背景を知っているので、試合結果を知って録画の野球試合を見ているように、ハラハラドキドキはあまりしません。

さて当のヨブは、そんな背景を知らないのに、神の守りを信じています。
「私は裸で生まれてはだかで帰る。主は与え主は取られる」と最高の信仰告白をします。
また
「幸いを受けたのだから、わざわいも受けるべき」という発言は、もう信仰者の鏡です。
信仰者として最高のステージでしょう。

しかし最初に私がヨブ記の学びをした時の講師は言われました。
「並のクリスチャンなら、この程度のことは言えるのです」
最高の悟りと思えるほどのステージが「並」とは。

「しかしヨブの苦しみはここから始まる」
と、まだまだ最高のステージに立ったヨブを、さらに苦しみ痛めつけるできごとが起こります。
苦しみの長期化と、もう一つは何と、ヨブを愛して心配して、助けになろうと、何日もかけて外国から駆けつけた友人達が、善意で取り組む一つ一つが、ヨブを最高に苦しめることとなります。

Monday, October 06, 2014

礼拝2014.10.12

網干キリスト教会 2014.10.10(金)19:30 &10.12(日)10:30 礼拝式次第

主題聖句
賛美歌   Ⅱ-185
ヘブル聖書 ヨブ23:1-17
主の祈り
ニカイア信条
詩編    22:1-15
賛美歌   Ⅱ-196
使徒書簡  ヘブル4:12-16
福音書   マルコ10:17-31
説教    「把握しにくい神」
賛美歌   258  
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頌栄     546
祝祷

カトリック&聖公会共同訳「主の祈り」
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように、
み国が来ますように、
み心が天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン


ニカイヤ信条

我らは、唯一の全能の父なる神、すべて見えるものと見えざるものの創造者を信ずる。
また我らは、主イエス・キリスト、神の御子、御父よりただ独り生まれたるもの、神より出でたる神、光より出でたる光、真の神より出でたる真の神、造られず、聖父と同質なる御方を信ずる。その主によって、万物、すなわち天にあるもの地にあるものは成り、また主は、我ら人間のため、我らの救のために降り、肉をとり、人となり、苦しみ、三日目に甦えり、天に昇り、生きている者と死んでいる者とを審くために来たり給うのである。
我らは聖霊を信ずる。
主の在し給わなかった時があるといい、生まれ給う前には主は在し給わなかったといっている者ら、または、異なった存在または本質から出でたもの(被造物)といい、変質し異質となり得る御方であると語る者を、公同かつ使徒的なる教会は呪うものである。

ヨブ23
1 ヨブは答えて言った。

2 きょうもまた、私はそむく心でうめき、私の手は自分の嘆きのために重い。

3 ああ、できれば、どこで神に会えるかを知り、その御座にまで行きたい。

4 私は御前に訴えを並びたて、ことばの限り討論したい。

5 私は神が答えることばを知り、私に言われることが何であるかを悟りたい。

6 神は力強く私と争われるだろうか。いや、むしろ私に心を留めてくださろう。

7 そこで正しい人が神と論じ合おう。そうすれば私は、とこしえにさばきを免れる。

8 ああ、私が前へ進んでも、神はおられず、うしろに行っても、神を認めることができない。

9 左に向かって行っても、私は神を見ず、右に向きを変えても、私は会うことができない。

10 しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。

11 私の足は神の歩みにつき従い、神の道を守って、それなかった。

12 私は神のくちびるの命令から離れず、私の定めよりも、御口のことばをたくわえた。

13 しかし、みこころは一つである。だれがそれを翻すことができようか。神はこころの欲するところを行われる。

14 神は、私について定めたことを、成し遂げられるからだ。このような多くの定めが神のうちにある。

15 だから、私は神の前でおびえ、これを思って、神を恐れているのだ。

16 神は私の心を弱くし、全能者は私をおびえさせた。

17 私はやみによって消されず、彼が、暗黒を私の前からなくされたからだ。


ヘブル4
12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

13 造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。

14 さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。

15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。

16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。


マルコ10
17 イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」

18 イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません。

19 戒めはあなたもよく知っているはずです。『殺してはならない。偽証を立ててはならない。欺き取ってはならない。父と母を敬え。』」

20 すると、その人はイエスに言った。「先生。私はそのようなことをみな、小さい時から守っております。」

21 イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」

22 すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。なぜなら、この人は多くの財産を持っていたからである。

23 イエスは、見回して、弟子たちに言われた。「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。」

24 弟子たちは、イエスのことばに驚いた。しかし、イエスは重ねて、彼らに答えて言われた。「子たちよ。神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。

25 金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」

26 弟子たちは、ますます驚いて互いに言った。「それでは、だれが救われることができるのだろうか。」

27 イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」

28 ペテロがイエスにこう言い始めた。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。」

29 イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、

30 その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。

31 しかし、先の者があとになり、後の者が先になることが多いのです。」

Sunday, October 05, 2014

2014 10月礼拝予定

10/03(金)19:30 木下春樹牧師担当
10/05(日)10:30 木下友子牧師担当
19/10(金)19:30 木下春樹牧師担当
10/12(日)10:30 木下春樹牧師担当
10/17(金)19:30 木下春樹牧師担当
10/19(日)10:30 木下春樹牧師担当
10/24(金)19:30 木下春樹牧師担当
10/26(日)10:30 木下友子牧師担当
10/31(金)19:30 木下春樹牧師担当