主題聖句 「前の半生よりあとの半生をもっと祝福された」
賛美歌 Ⅱ-185
ヘブル聖書 ヨブ42:1-17
主の祈り
ニカイア信条
詩編 34:1-8
賛美歌 322
使徒書簡 ヘブル7:23-28
福音書 マルコ10:46-52
説教 「祝福としての豊かさ」
賛美歌 367
頌栄 546
祝祷
カトリック& 聖公会共同訳「主の祈り」
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように、
み国が来ますように、
み心が天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン
み名が聖とされますように、
み国が来ますように、
み心が天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン
ニカイヤ信条
- 我らは、唯一の全能の父なる神、すべて見えるものと見えざるものの創造者を信ずる。
- また我らは、主イエス・キリスト、神の御子、御父よりただ独り生まれたるもの、神より出でたる神、光より出でたる光、真の神より出でたる真の神、造られず、聖父と同質なる御方を信ずる。その主によって、万物、すなわち天にあるもの地にあるものは成り、また主は、我ら人間のため、我らの救のために降り、肉をとり、人となり、苦しみ、三日目に甦えり、天に昇り、生きている者と死んでいる者とを審くために来たり給うのである。
- 我らは聖霊を信ずる。主の在し給わなかった時があるといい、生まれ給う前には主は在し給わなかったといっている者ら、または、異なった存在または本質から出でたもの(被造物)といい、変質し異質となり得る御方であると語る者を、公同かつ使徒的なる教会は呪うものである。
- ヨブ42:1-171 ヨブは主に答えて言った。
2 あなたには、すべてができること、あなたはどんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。
3 知識もなくて、摂理をおおい隠す者は、だれか。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。
4 さあ聞け。わたしが語る。わたしがあなたに尋ねる。わたしに示せ。
5 私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。
6 それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています。
7 さて、主がこれらのことばをヨブに語られて後、主はテマン人エリファズに仰せられた。「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。それは、あなたがたがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったからだ。
8 今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブのところに行き、あなたがたのために全焼のいけにえをささげよ。わたしのしもべヨブはあなたがたのために祈ろう。わたしは彼を受け入れるので、わたしはあなたがたの恥辱となることはしない。あなたがたはわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったが。」
9 テマン人エリファズと、シュアハ人ビルダデとナアマ人ツォファルが行って、主と彼らに命じたようにすると、主はヨブの祈りを受け入れられた。
10 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄を元どおりにされた。主はヨブの所有物もすべて二倍に増やされた。
11 こうして彼のすべての兄弟、すべての姉妹、それに以前のすべての知人は、彼のところに来て、彼の家で彼とともに食事をした。そして彼をいたわり、主が彼の上にもたらしたすべてのわざわいについて、彼を慰めた。彼らはめいめい一ケシタと金の輪一つずつを彼に与えた。
12 主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。それで彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。
13 また、息子七人、娘三人を持った。
14 彼はその第一の娘をエミマ、第二の娘をケツィア、第三の娘をケレン・ハプクと名づけた。
15 ヨブの娘たちほど美しい女はこの国のどこにもいなかった。彼らの父は、彼女たちにも、その兄弟たちの間に相続地を与えた。
16 この後ヨブは百四十年生き、自分の子と、その子の子たちを四代目まで見た。
17 こうしてヨブは老年を迎え、長寿を全うして死んだ。ヘブル723 また、彼らの場合は、死ということがあるため、務めにいつまでもとどまることができず、大ぜいの者が祭司となりました。
24 しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。
25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
26 また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。
27 ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。
28 律法は弱さを持つ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た誓いのみことばは、永遠に全うされた御子を立てるのです。マルコ1046 彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群集といっしょにエリコを出られると、テマイの子バルテマイという盲人の物ごいが、道ばたにすわっていた。
47 ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び始めた。
48 そこで、彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめたが、彼はますます、「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。
49 すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている」と言った。
50 すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐに立ち上がって、イエスのところに来た。
51 そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」
52 するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。
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