Saturday, October 25, 2014

2014,10.26 礼拝 ヨブ記「世俗的祝福」

日本映画最大傑作の一つはゴジラですが、一作目の最後は「原爆実験を続けると次のゴジラが現れる」と不気味なセリフで終わり、後味を残します。
ハリウッドで編集されると、単なるハッピーエンドとなり、スッキリと終わります。
でも安易なハッピーエンドは、なんだか安っぽく感じるのは私だけでしょうか。

宗教は、「良いことをした人は天国、悪い人は地獄」と単純なものがウケが早いようです。もっと露骨に、「信仰熱心で寄進が多ければ、健康や経済がよくなり、不熱心は不幸になる」となると、安っぽく多くの人が集まる宗教ができます。

ヨブ記は、信仰熱心で最高に良い人が、だれより苦しい目に会うという、理不尽きわまりない話です。
1章2章では、苦難の最中ながら「裸で生まれ裸で死ぬ」「神は恵みをくださるから災いも受け取るべき」と、単純でも人類として最高の悟りの境地に達したヨブの聖人と言える崇高な姿があります。見た目はおぞましく醜い容姿でありながらです。
 最初にヨブ記を教えてくださった牧師は「まだヨブ記の最初ということは、この程度のことは並のクリスチャンなら誰でも達する境地」と驚かせてくれました。
ヨブ記本論は42章まで続くわけです。

そのほとんどは、ヨブを思う親友とヨブの議論です。最後に神がことばが発せられ、正しいと思われたことばを全て否定されます。特に因果応報的考え方を否定されます。
神に苦しみをぶっつけたヨブは正しいとされます。
じつに深い真理があり、それを「神の深さ広さがあることは絶対悟れないと悟ること」を求められます。
ところが最後は、「前の倍以上の財産ができて、家族も増えて、娘は美人」と、まるで、ハリウッド映画以上の、安っぽいハッピーエンドに、少しがっかりもします。

ところで、我々の現実生活は、映画のストーリーではありません。
はっきり言って、地位も名誉も富も長寿も家族の幸いもほしい。
そして神は祝福として、それらを必要に応じて、お与えくださいます。
我々は、年中高尚な理念ばかりで生きてるわけでなく、毎日俗っぽい事柄ばかりに、身をおいて労しているのです。
神が恵みとしてくださった、この現実、俗世、この体、この容姿、健康状態こそ、大切にすべきであり、神の祝福もそこに重点があることを感謝すべきであります。
そして、その次に、信仰が成長すれば、パウロやペテロのように、地位や名誉は富は、ちりあくたに見えて、いのちも惜しまないほど、キリストに仕える喜びを知ることとなります。地位、名誉を積み重ねた所はゴミ屋敷であると思えるほど成長するのです。

とはいえ「並のクリスチャン」に達しているかいないかの信仰初心者の我々は、どちらかというと、ゴミ屋敷を作りたいし。いのちをも惜しまないほどの成長はそれほどしたくない気持ちがあります。ありませんか?
とりあえず日常の衣食住の平凡な恵みに感謝し、やがて程度の差はあっても、誰にも訪れる理不尽な苦難を、岩の上に人生の家を建てて、それを成長の肥やしとして、成長することができるよう、祈りをもって、今週の旅路に歩み出しましょう。




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