Tuesday, December 09, 2014

2014.12/5&7 礼拝


2014.12.5(金)& 30(日) アドベント第二日曜礼拝式次第


主題聖句完成させてくださることを私は堅く信じている
賛美歌   94
ヘブル聖書 マラキ 3:1-4
主の祈り
ニカイア信条
ルカ    1:68-79
賛美歌   95
使徒書簡  ピリピ  1:3-11
福音書   ルカ3:1-6
説教    「すでに救い主は来られ、救いのわざもなされた
賛美歌   174
頌栄       546
祝祷

今週はザカリアの歌をもって信仰の励ましを頂きます。
ルカ1:68はラテン語でベネディクテュスとよばれ、同じく1:46のマリアの賛歌はマニィフィカートと呼ばれます。
いずれも多くの作曲家が使って名作を書き上げています。
二つとも神への賛美から始まっています。
信仰的に成熟した人は、第一声は、自分の本音ではなく、賛美から始まる事に表れます。イエス様が教えてくださった祈りの模範「主の祈り」も、呼びかけるとまず賛美です。

現実的にも見てみましょう。まずザカリアは突然天使を見ました。これは誰でもビックリでしょう。オバケと思うでしょう。恐怖です。神を見ると死ぬのでこれまた恐怖です。彼はしるしを求めました。並の人間には当然過ぎることです。ギデオンもしるしを求めて、神に叱責を受けなかったことを知っているでしょう。しるしは、神の裁きと訓練も兼ねて突発性聾唖となりました。
沈黙の中で、ザカリアの信仰は成長していきます。

マリアも、突然身に覚えのない妊娠に驚きます。天使ガブリエルが伝えてくれても、初めての天使との出会いです。何が何だかわからないはずです。ザカリアより乙女の素直さが勝っていますので、恐怖はザカリアより少なく、しるしを求めていません。
でも並の乙女なら、聖霊による妊娠など誰が信じてくれようか、婚約者も信じてくれないだろう。世間に知れると石打ちの死刑が待っている。
でもマリアは平安でした。これは信仰の訓練というより、素直な信仰です。

我々の時代には進化論が一般化され、時間経過とともに進歩が当然という迷信がはびこりました。社会共産主義に採用され、社会も進歩するという迷信です。
進歩するということは、ムカシの人はバカであるという前提になります。
成長するということは、若い者はバカであるという前提になります。
人と社会はバベルを塔を作れるだけの科学技術的進歩もあるが堕落がある。
聖書では何度も何度も警告をしているのに、天に届くかとバベルの塔をせっせと作っている人類社会。何の進歩もなかった。

信仰のプロである祭司ザカリア。右も左もわからない乙女マリア。ここにおいては、無知でも無垢なマリアのほうが評価されている気がします。
さて、信仰は競争ではないので、どちらがエライというものではなく、二人とも第一声が賛美であることがすばらしい。

どんなに困難があろうと、その背後には神の守りがあります。
ヨブがサタンに痛めつけられても、背後で神がサタンをコントロールしていることを、我々は聖書によって知らされていいます。
キリストの十字架で、我々は罪許されて、永遠の命を保証されていることを知っています。

一日の始まり、仕事や勉強の始まり、困ったことや心配があった時、つらい事苦しいことがあった時、何はともあれ、まずは賛美することから始めれば、勝利ある人生です。


Friday, November 28, 2014

2014.11.28(金)& 30(日) アドベント第一日曜礼拝式次第


主題聖句力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来る
賛美歌   320
ヘブル聖書 エレミア 33:14-16
主の祈り
ニカイア信条
詩編    25:1-10
賛美歌   95
使徒書簡  Ⅰテサロニケ  3:9-13
福音書   ルカ21:25-36
説教    「何を喜ぶべきか」
賛美歌   174
頌栄       546
祝祷

日本ハリストス正教会「天主経」[編集]

てんいまわれちちや。
ねがはくなんぢせいとせられ。
なんぢくにきたり。
なんぢむねてんおこなはるるがごとく、
にもおこなはれん。
にちようかてこんにちわれあたたまへ。
われおひめあるものわれゆるすがごとく、
われおひめゆるたまへ。
われいざなひみちびかず、
なほわれきょうあくよりすくたまへ。
けだくに權能けんのう光榮こうえいなんじちち聖神゜せいしんす、
いま何時いつ世々よよに。「アミン」。
カルケドン信条

われわれはみな、教父たちに従って、心を一つにして、次のように考え、宣言する。
われわれの主イエス・キリストは唯一・同一の子である。同じかたが神性において完全であり、この同じかたが人間性においても完全である。
同じかたが真の神であり、同時に理性的霊魂と肉体とからなる真の人間である。
同じかたが神性において父と同一本質のものであるとともに、人間性においてわれわれと同一本質のものである。「罪のほかはすべてにおいてわれわれと同じである」[1]
神性においては、この世の前に父から生まれたが、この同じかたが、人間性においては終わりの時代に、われわれのため、われわれの救いのために、神の母[2]、処女マリアから生まれた。
彼は、唯一・同一のキリスト、主、ひとり子として、
二つの本性において混ぜ合わされることなく、変化することなく、分割されることなく、引き離されることなく知られるかたである。
子の結合によって二つの本性の差異が取り去られるのではなく、むしろ各々の本性の特質は保持され、
唯一の位格[3]、唯一の自立存在[4]に共存している。
彼は二つの位格に分けられたり、分割されたりはせず、
唯一・同一のひとり子、神、ことば、イエス・キリストである。
エレミア33
14 「見よ。その日が来る。―の御告げ―その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家に語ったいつくしみのことばを成就する。
15 その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を芽ばえさせる。彼はこの国に公義を正義を行う。
16 その日、ユダは救われ、エルサレムは安らかに住み、こうしてこの町は、『は私たちの正義』と名づけられる。」


テサロニケ3
9 私たちの神の御前にあって、あなたがたのことで喜んでいる私たちのこのすべての喜びのために、神にどんな感謝をささげたらよいでしょう。
10 私たちは、あなたがたの顔を見たい、信仰の不足を補いたいと、昼も夜も熱心に祈っています。
11 どうか、私たちの父なる神であり、また私たちの主イエスである方ご自身が、私たちの道を開いて、あなたがたのところに行かせてくださいますように。
12 また、私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。
13 また、あなたがたの心を強め、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒とともに再び来られるとき、私たちの父なる神の御前で、聖く、責められるところのない者としてくださいますように。


ルカ21
25 そして、日と月と星には、前兆が現れ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、
26 人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。
27 そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。
28 これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」
29 それからイエスは、人々にたとえを話された。「いちじくの木や、すべての木を見なさい。
30 木の芽が出ると、それを見て夏の近いことがわかります。
31 そのように、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近いと知りなさい。
32 まことに、あなたがたに告げます。すべてのことが起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。
33 この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
34 あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。
35 その日、全地の表に住むすべての人に臨むからです。
36 しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」

Wednesday, November 19, 2014

2014 11/21&11/23 礼拝


主題聖句真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。
賛美歌   320
ヘブル聖書 Ⅱサムエル 23:1-7
主の祈り
ニカイア信条
詩編    132:1-12
賛美歌   Ⅱ-100
使徒書簡  黙示  1:4-8
福音書   ヨハネ18:33-37
説教    「朝の光に輝く雨後の若草」
賛美歌   502
頌栄       546
祝祷

日本ハリストス正教会「天主経」[編集]

てんいまわれちちや。
ねがはくなんぢせいとせられ。
なんぢくにきたり。
なんぢむねてんおこなはるるがごとく、
にもおこなはれん。
にちようかてこんにちわれあたたまへ。
われおひめあるものわれゆるすがごとく、
われおひめゆるたまへ。
われいざなひみちびかず、
なほわれきょうあくよりすくたまへ。
けだくに權能けんのう光榮こうえいなんじちち聖神゜せいしんす、
いま何時いつ世々よよに。「アミン」。
カルケドン信条

われわれはみな、教父たちに従って、心を一つにして、次のように考え、宣言する。
われわれの主イエス・キリストは唯一・同一の子である。同じかたが神性において完全であり、この同じかたが人間性においても完全である。
同じかたが真の神であり、同時に理性的霊魂と肉体とからなる真の人間である。
同じかたが神性において父と同一本質のものであるとともに、人間性においてわれわれと同一本質のものである。「罪のほかはすべてにおいてわれわれと同じである」[1]
神性においては、この世の前に父から生まれたが、この同じかたが、人間性においては終わりの時代に、われわれのため、われわれの救いのために、神の母[2]、処女マリアから生まれた。
彼は、唯一・同一のキリスト、主、ひとり子として、
二つの本性において混ぜ合わされることなく、変化することなく、分割されることなく、引き離されることなく知られるかたである。
子の結合によって二つの本性の差異が取り去られるのではなく、むしろ各々の本性の特質は保持され、
唯一の位格[3]、唯一の自立存在[4]に共存している。
彼は二つの位格に分けられたり、分割されたりはせず、
唯一・同一のひとり子、神、ことば、イエス・キリストである。
Ⅱサムエル23:
1 これはダビデの最後のことばである。エッサイの子ダビデの告げたことば。高くあげられた者、ヤコブの神に油そそがれた者の告げたことば。イスラエルの麗しい歌。

2 「の霊は、私を通して語り、そのことばは、私の舌の上にある。

3 イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、

4 太陽の上る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らすようだ。』

5 まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。

6 よこしまな者は、いばらのように、みな投げ捨てられる。手で取る値うちがないからだ。

7 これに触れる者はだれでも、鉄や槍の柄でこれを集め、その場で、これらはことごとく火で焼かれてしまう。」

黙示1

4 ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、後に来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、

5 また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、

6 また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。

7 見よ。彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。

8 神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」

ヨハネ18:
33 そこで、ピラトはもう一度官邸に入って、イエスを呼んで言った。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」

34 イエスは答えられた。「あなたは、自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなたにわたしのことを話したのですか。」

35 ピラトは答えた。「私はユダヤ人ではないでしょう。あなたの同国人と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのです。あなたは何をしたのですか。」

36 イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」

37 そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」

Thursday, November 13, 2014

2014,11/14&11/16 礼拝メッセージより

有名な作家の林真理子が「何年も原稿料が滞ってるので、支払ってもらうまで次は書かない」という発言がニュースになりました。相手はいかがわしい出版社ではなく、その方面では著名な編集者のようです。
一流の出版者が一流の作家にギャラ出せないほど、出版業界は大変なようです。
ましてキリスト教会の出版事業は、どこもエリアの車(火の車)をたくさん所有していることでしょう。
最近我がfacebookのお友達に、クリスチャンのマンガ作家がなってくれました。
伝道のために書いた作品が、各国後に翻訳され、聖書協会でも膨大な出版数が売れてるのに、原稿料がもらえないそうです。
 それ即ち、神のみこころではないという思いに陥ったようです。
聖書の真理をマンガで済まそうなんて、信仰者としてはあってはならないということのようです。マンガに頼る人が増えることは神のみこころに反するという思いです。
私がコメントとして「判断は尊重しますが、読者には信仰も初心者なら、年を経ていても読解力も初心者の人が多いので、伝道の使命はちょっと置いて、ご自分の各書研究の成果として、また信仰告白として続けられたら、喜んでくださる読者が多いのではないでしょうか?」とメールしました。

自分の人生の目的はこれだと励んでいたのが、神のみこころではないと思える時があります。大変苦しい時です。
多くの女性にとって、子を産み、育て、次世代に繋ぐのを、人生最大の目的としている方が多いと思います。ハンナはそれが、神によって止められているように思いました。
こればかりは、いくら努力しても、神からの授かりものです。
でも必死で祈りました。エリはその激しい祈りの様子を酔っぱらってるのと間違いました。
そして神がそれに答え、念願の子を得るに至りましたが、さすがハンナ、大切な「我が子!」といった独占的な態度をとらず、神に捧げるとして、エリの弟子にして、自分は離れていきました。人生の主目的を果たせば、それに執着しないさっぱりとした気分のようです。
キリストの弟子達は、やはり地上的な富と名誉と権力を欲していました。
立派な建築物は富と権力の象徴です。
弟子達はいずれそれを管理する立場を目指していました。
ところがキリストは、それらが全部崩れると預言しました。
そして預言通りとなりました。
しかし、その頃には、弟子達もしっかりと成長していて、キリストの仕事を果たす喜びは、地上の富みや権力など、ちりあくたと感じるほどになっていました。

ヘンデルがメサイヤを作曲した時、ミレーが自分の才能を疑い、パリからバルビゾンに引っ込んだ時、彼らは最高の仕事をやり遂げました。
人生最大の目的に励む時、大きな絶望がそこにあり、それを神の力をのみ、より頼む時、成就に導かれます。

先週の礼拝メッセージと同じ内容になりました。
信仰と行動。
祈りと神のみこころを求めることなく、行動が先立つと空回りばかり。
行動が無く、祈ってばかりでは、何も起こらない。
神の領域と人の領域を心得て、最大の使命を果たす喜びを得ましょう。


2014,11/14&11/16 礼拝


主題聖句の前に、私の心を注ぎ出していたのです
賛美歌   320
ヘブル聖書 Ⅰサムエル 1:4-20 2:1-10
主の祈り
ニカイア信条
詩編    
賛美歌   Ⅱ-100
使徒書簡  ヘブル10:11-14
福音書   マルコ13:1-8
説教    「人生の主目的を主に捧げる」
賛美歌   532
頌栄       546
祝祷

日本ハリストス正教会「天主経」[編集]

てんいまわれちちや。
ねがはくなんぢせいとせられ。
なんぢくにきたり。
なんぢむねてんおこなはるるがごとく、
にもおこなはれん。
にちようかてこんにちわれあたたまへ。
われおひめあるものわれゆるすがごとく、
われおひめゆるたまへ。
われいざなひみちびかず、
なほわれきょうあくよりすくたまへ。
けだくに權能けんのう光榮こうえいなんじちち聖神゜せいしんす、
いま何時いつ世々よよに。
「アミン」。

カルケドン信条
この故に、我らは、聖なる教父らに倣い、凡ての者が声を一つにして、唯一人のこの御子我らの主イエス・キリストの、実に完全に神性をとり完全に人性をとり給うことを、告白するように充分に教えるものである。主は、真に神であり真に人であり給い、人間の魂と肉をとり、神性によれば御父と同質、人性によれば主は我らと同質、罪をほかにしてすべてにおいて我らと等しくあり給い、神性によれば代々の前に聖父より生れ、人性によれば、この終りの時代には、主は我らのためにまた我らの救のために、神の母である処女マリヤより生まれ給うた。この唯一のキリスト、御子、主、独子は、二つの性より(二つの性において)まざることなく、かけることなく、分けられることもできず、離すこともできぬ御方として認められねばならないのである。合一によって両性の区別が取除かれるのではなく、かえって、各々の性の特質は救われ、一つの人格一つの本質にともに入り、二つの人格に分かたれ割かれることなく、唯一人の御子、独子、言なる神、主イエス・キリストである。これは、はじめから、預言者らまた主イエス・キリスト御自身が懇ろに教え、教父らの信条が我らに伝えた通りである。

Ⅰサムエル1:
4 その日になると、エルカナはいけにえをささげ、妻のペニンナ、彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えた。

5 しかしハンナには特別の受け分を与えていた。は彼女の胎を閉じておられたが、彼がハンナを愛していたからである。

6 彼女を憎むペニンナは、がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。

7 毎年、このようにして、彼女がの宮に上って行くたびに、ペニンナは彼女をいらだたせた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。

8 それで夫エルカナは彼女に言った。「ハンナ。なぜ、泣くのか。どうして、食べないのか。どうして、ふさいでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか。」

9 シロでの食事が終わって、ハンナは立ち上がった。そのとき、祭司エリは、の宮の柱のそばの席にすわっていた。

10 ハンナの心は痛んでいた。彼女はに祈って、激しく泣いた。

11 そして誓願を立てて言った。「万軍のよ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますならば、私はその子の一生をにおささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」

12 ハンナがの前で長く祈っている間、エリはその口もとを見守っていた。

13 ハンナは心のうちで祈っていたので、くちびるが動くだけで、その声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのではないかと思った。

14 エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」

15 ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私はの前に、私の心を注ぎ出していたのです。

16 このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」

17 エリは答えて言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」

18 彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように」と言った。それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。

19 翌朝早く、彼らはの前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家へ帰って行った。エルカナは自分の妻ハンナを知った。は彼女を心に留められた。

20 日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして「私がこの子をに願ったから」と言って、その名をサムエルと呼んだ。

2:
1 ハンナは祈って言った。「私の心はを誇り、私の角はによって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私はあなたの救いを喜ぶからです。

のように聖なる方はありません。あなたに並ぶ者はないからです。私たちの神のような岩はありません。

3 高ぶって、多くを語ってはなりません。横柄なことばを口から出してはなりません。まことには、すべてを知る神。そのみわざは確かです。

4 勇士の弓が砕かれ、弱いものが力を帯び、

5 食べ飽いた者がパンのために雇われ、飢えていた者が働きをやめ、不妊の女が七人の子を産み、多くの子を持つ女が、しおれてしまいます。

は殺し、また生かし、よみに下し、また上げる。

は、貧しくし、また富ませ、低くし、また高くするのです。

8 主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人を、あくたから引き上げ、高貴な者とともに、すわらせ、彼らに栄光の位を継がせます。まことに、地の柱はのもの、その上に主は世界を据えられました。

9 主は聖徒たちの足を守られます。悪者どもは、やみの中に滅びうせます。まことに人は、おのれの力によっては勝てません。

10 は、はむかう者を打ち砕き、その者に、天から雷鳴を響かせられます。は地の果て果てまでさばき、ご自分の王に力を授け、主に油そそがれた者の角を高く上げられます。」


ヘブル10
11 また、すべて祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえをくり返しささげますが、それらは決して罪を除き去ることができません。

12 しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、

13 それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。

14 キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。


マルコ13
1 イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」

2 すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」

3 イエスがオリーブ山で宮に向かってすわっておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにイエスに質問した。

4 「お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。」

5 そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。

6 わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそそれだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。

7 また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

8 民族は民族に、国は国に対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみの初めです。

Thursday, November 06, 2014

11/7&9 礼拝メッセージ

本田宗一郎の話と思いますが、不確かな記憶です。
大学入試に備えようとしたら、父親から反対されたそうです。
「お前は本田商店を継ぐ者だ。そんなヒマはないだろう。大学の学びが必要なら、大卒を雇えばすむことだ」。大物です。
世界を維持しているのは大卒のエリートですが、世界を変えるのは、浮き沈みに動じない、頂点も底辺も知る人の役目です。

歴史は、特に聖書に歴史は、金持ちや強烈な政治的権力をもっている人達がより富と権力を大きくふくらませて動かしてきたわけではないのです。
世界を動かした人は、資産や政治力の強い人ではなかったのです。
モーセはエジプトの王子というより、一旦落ちぶれた羊飼いでした。
ダビデも羊飼い。
イエス様も大工です。
悲惨な生活をしているやもめのルツやナオミも世界を変える働きができました。ダビデやイエスを生んだ原動力となりました。


「三代目には貸家札」ということばがあるそうです。
苦労を重ねて成功した初代。それを見ていて発展させた二台目。
三代目はいけません。物心ついた時には、もうセレブ。贅沢とムダ遣いが身についています。先代、先々代の遺産を食い尽くしてしまいます。
人は進歩、発展を続けるという進化論的思考は、現実無視であり、人は堕落するものなのです。
それを防ぐのは初代の熱烈なる動機を探る、初心に帰らねばなりません。すってんてんからの出発こそが大切です。

ナオミとルツは、神の祝福するイスラエルの社会制度によって身を守られたわけですが、すってんてんの状態からのスタートです。
先代が築いた上に乗っかったわけではないのです。

私たちキリスト者は、天に宝を積むべきではありますが、神の祝福はこの地上に宝を積むことも祝福としてくださいます。それを目指す時、我々はエネルギを発揮します。
自己実現ばかりでは困りますが、そのエネルギーが神と人とのお役にたつことができます。そのためには、初心になるなければ、ひたすら堕落するしかありません。

モーゼが王子の立場から、一瞬にして、それも善的動機から落とされます。
ルツとモルデカイの出会いは、神の祝福です。
長い人生において、必ず、一度や二度は、善い動機と正しい行動からでも。王子の立場から落とされます。
そこからがスタートです。
大きな働きを神から期待されている人ほど、すってんてんの体験数が多いことでしょう。

ノアは神のことばに従って救われました。しかし、方舟を作ったり、鳩やカラスの力まで借りて情報を集めるように、最大限の努力も果たしました。
何もしないで祈っているだけでは、なにも起こらず空回りだけです。
神の意志や摂理を汲み取る事なく、祈りより行動あるのみという姿勢も何も起こらず空回りだけ。
神のみ意志に従い、レプタを献金したやもめのごとく、自分にあった最大限の努力こそ、世界を変える第一歩であり、最大の貢献であります。聖書にはレプタを捧げた女がその後どうなったかは書かれてませんが、このように全力を尽くしてイエス様にほめられた人が祝福を受けないわけはないでしょう。

2014.11/7(金)611/9(日)礼拝


主題聖句  「あるだけを全部 
賛美歌   320
ヘブル聖書 ルツ3:1-5,4:13-17
主の祈り
ニカイア信条
詩編    127
賛美歌   Ⅱ-100
使徒書簡  ヘブル9:24-28
福音書   マルコ12:38-44
説教    「私達が世界を変える?!」
賛美歌   529
頌栄       546
祝祷

日本ハリストス正教会「天主経」[編集]

てんいまわれちちや。
ねがはくなんぢせいとせられ。
なんぢくにきたり。
なんぢむねてんおこなはるるがごとく、
にもおこなはれん。
にちようかてこんにちわれあたたまへ。
われおひめあるものわれゆるすがごとく、
われおひめゆるたまへ。
われいざなひみちびかず、
なほわれきょうあくよりすくたまへ。
(司祭が居る場合、以下司祭朗誦・高声)
けだくに權能けんのう光榮こうえいなんじちち聖神゜せいしんす、
いま何時いつ世々よよに。
「アミン」。
(司祭が居ない場合は以下、但し唱えられない事も多い)
けだくに權能けんのう光榮こうえいなんじ世々よよす「アミン」。


カルケドン信条

この故に、我らは、聖なる教父らに倣い、凡ての者が声を一つにして、唯一人のこの御子我らの主イエス・キリストの、実に完全に神性をとり完全に人性をとり給うことを、告白するように充分に教えるものである。主は、真に神であり真に人であり給い、人間の魂と肉をとり、神性によれば御父と同質、人性によれば主は我らと同質、罪をほかにしてすべてにおいて我らと等しくあり給い、神性によれば代々の前に聖父より生れ、人性によれば、この終りの時代には、主は我らのためにまた我らの救のために、神の母である処女マリヤより生まれ給うた。この唯一のキリスト、御子、主、独子は、二つの性より(二つの性において)まざることなく、かけることなく、分けられることもできず、離すこともできぬ御方として認められねばならないのである。合一によって両性の区別が取除かれるのではなく、かえって、各々の性の特質は救われ、一つの人格一つの本質にともに入り、二つの人格に分かたれ割かれることなく、唯一人の御子、独子、言なる神、主イエス・キリストである。これは、はじめから、預言者らまた主イエス・キリスト御自身が懇ろに教え、教父らの信条が我らに伝えた通りである。

ルツ3:
1 しゅうとめナオミは彼女に言った。「娘よ。あなたがしあわせになるために、身の落ち着く所を私が捜してあげなければならないのではないでしょうか。

2 ところで、あなたが若い女たちといっしょにいた所のあのボアズは、私たちの親戚ではありませんか。ちょうど今夜、あの方は打ち場で大麦をふるい分けようとしています。

3 あなたはからだを洗って、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行きなさい。しかし、あの方の食事が終わるまで、気づかれないようにしなさい。

4 あの方が寝るとき、その寝る所を見届けてから入って行き、その足のところをまくって、そこに寝なさい。あの方はあなたのすべきことを教えてくれるでしょう。」

5 ルツはしゅうとめに言った。「私におっしゃることはみないたします。」


ルツ4
13 こうしてボアズはルツをめとり、彼女は彼の妻となった。彼が彼女のところに入ったとき、は彼女をみごもらせたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。

14 女たちはナオミに言った。「イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう、買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかったが、ほめたたえられますように。

15 その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。あなたを愛し、七人の息子にもまさるあなたの嫁が、その子を産んだのですから。」

16 ナオミはその子をとり、胸に抱いて、養い育てた。

17 近所の女たちは、「ナオミに男の子が生まれた」と言って、その子に名をつけた。彼女たちは、その子をオベデと呼んだ。オベデはダビデの父エッサイの父である。

ヘブル9
24 キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現れてくださるのです。

25 それも、年ごとに自分の血でない血を携えて聖所に入る大祭司とは違って、キリストは、ご自分を幾度もささげることはなさいません。

26 もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。

27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、

28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

マルコ12:

38 イエスはその教えの中でこう言われた。「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが大好きで、

39 また、会堂の上席や、宴会の上席が大好きです。

40 また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」

41 それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。

42 そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。

43 すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。

44 みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」



Thursday, October 30, 2014

2014/10/31(金)&11/02 礼拝



主題聖句  「この二つより大事な命令は、ほかにはありません
賛美歌   Ⅱ-185
ヘブル聖書 ルツ1-18
主の祈り
ニカイア信条
詩編    146
賛美歌   367
使徒書簡  ヘブル9:11-14
福音書   マルコ12:28-34
説教    「むずかしい和解も仲介で」
賛美歌   236
頌栄     546
祝祷

カトリック& 聖公会共同訳「主の祈り」
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように、
み国が来ますように、
み心が天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン


ニカイヤ信条
我らは、唯一の全能の父なる神、すべて見えるものと見えざるものの創造者を信ずる。
また我らは、主イエス・キリスト、神の御子、御父よりただ独り生まれたるもの、神より出でたる神、光より出でたる光、真の神より出でたる真の神、造られず、聖父と同質なる御方を信ずる。その主によって、万物、すなわち天にあるもの地にあるものは成り、また主は、我ら人間のため、我らの救のために降り、肉をとり、人となり、苦しみ、三日目に甦えり、天に昇り、生きている者と死んでいる者とを審くために来たり給うのである。
我らは聖霊を信ずる。主の在し給わなかった時があるといい、生まれ給う前には主は在し給わなかったといっている者ら、または、異なった存在または本質から出でたもの(被造物)といい、変質し異質となり得る御方であると語る者を、公同かつ使徒的なる教会は呪うものである。

ルツ1:
1 さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。

2 その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、

3 ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。

4 ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。

5 しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。

6 そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとした。モアブの野でナオミは、がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いたからである。

7 それで、彼女はふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についた。

8 そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家に帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、があなたがたに恵みを賜り、

9 あなたがたが、それぞれの夫の家で平和な暮らしができるようにがしてくださいますように」と言った。そしてふたりに口づけをしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。

10 ふたりはナオミに言った。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」

11 しかしナオミは言った。「帰りなさい。娘たち。なぜ私といっしょに行こうとするのですか。あなたがたの夫になるような息子たちが、まだ、私のお腹にいるとでもいうのですか。

12 帰りなさい。娘たち。さあ、行きなさい。私は年をとって、もう夫は持てません。たとい私が、自分には望みがあると思って、今晩でも夫を持ち、息子たちを産んだとしても、

13 それだから、あなたがたは息子たちの成人するまで待とうというのですか。だから、あなたがたは夫を持たないままでいるというのですか。娘たち。それはいけません。私をひどく苦しませるだけです。の御手が私に下ったのですから。」

14 彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついていた。

15 ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」

16 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。

17 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、が幾重にも私を罰してくださるように。」

18 ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった。


ヘブル9:
11 しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、

12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

13 もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、

14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離させ、生ける神に仕える者とすることでしょう。


マルコ12:
28 律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」

29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。

30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにはありません。」

32 そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない』と言われたのは、まさにそのとおりです。

33 また、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして、主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」

34 イエスは、彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者がなかった。