Saturday, February 24, 2007

ボランティア葬儀の提案

葬儀費用は全国平均280万円、いくら質素でも50万円以下では不可能です。
知人の米国人はこの値段に「クレージー!」と言いました。
確かに、人の死という厳粛な事実は金銭にかえられません。プロはプロだけの仕事をしてくれるでしょう。
しかし多様化の時代に、もっと選択肢があってもいいのではないでしょうか。
そこで有料(無料)ボランティア葬儀を提案いたします。

すでに5万円予算から大規模まで、手作りでの暖かい式をやってきました。
ほんのしばらく前は、どこでも町内会長さんが、てきぱきとされていましたが、徐々にノウハウを無くしています。会長さんや近所の方々は仕事まで休んで、大きな負担をかかえるので、業者任せになってきました。
みんなで涙を流しながらのお手伝いこそが慰めになるのに、お金を払って事務的にやってもらうのでは手抜きと言えます。
業者は従業員を雇い常に待機していなければなりません。待機も経費がかかります。ボランティアなら待機料はありません。

今のところ我々の立場上、キリスト教式か、無宗教しかできません。仏教、神道関係者の参加を歓迎します。
無料でも、引き受けてくれる教会をリストアップしています。
まだまだ、「自教会の会員のみ」という教会も多い中、「非信者でも、柩や有料ボランティアの費用も教会が負担して、完全無料を目指す」と言ってくれた教会もありました。「悲しむ人を苦しませてはならない」と。…感動でした。
牧師や教会役員を中心に、ボランティアも、集まりつつあります。
キリスト教の慰霊は「神に取りなす祈り」を中心とした礼拝です。音楽が活躍します。
天国への救いはキリストの仕事ですので完璧です。故人の精進でもなければ、遺族や聖職者の供養技術ではありません。
無宗教式でも、「葉っぱのフレディ」や「千の風になって」のように、さわやかな、希望に満ちたものも可能です。
どちらにしても、遺族、参列者が、悲しみを共にすることで、孤独と絶望から立ち直るきっかけを目的とします。
本来の姿に立ち返りましょう。

こちらも覗いてください。
笛吹牧師山の詩   http://music.geocities.yahoo.co.jp/gl/zionsvjp
笛吹牧師の結婚講座 http://plaza.rakuten.co.jp/zionsvjp/
網干キリスト教会:
フルート教室:網干教室(網干高校北300m)&新在家教室(県立兵庫大学西、姫路恵教会内)
                     090-3922-2995    

Sunday, February 11, 2007

充実の中の虚しさ

70年代前半、私は音楽三昧で、本当に楽しい、充実した時期でした。今だって楽しいですが。
これからは徐々に体が衰え、持病も増えて苦しみながら、人生を終えていくわけです。
でもこの時代の思い出だけで、「楽しい人生だった」と結論づけられそうです。

朝から夜9時10時まで、警備員さんに追い出されるまで、練習のため、学内にいました。
授業は「高い授業料の基とらねば」とあらゆる科に出ました。
声楽科だけの合唱授業にも、男声不足のどさくさで参加して、N響第9に毎年参加しました。
個人練習、仲間と合奏、図書館でレコード鑑賞。
四千人の学生、その八割が女子学生。美人は豊富。
伴奏ピアニストは、本番には、とにかくうまい人。練習ピアニストには、なるべく美人。などど最高に贅沢。
卒業してからも、さらに留学して学びたいと、ドイツ語学校に通う。そこで他の分野の方々との交流も楽しかった。
演奏の機会もたびたびあり、それなりの出来で良い評価をもらって、この上ない充実感に満たされた日々でした。

でも大きな喝采をもらった演奏会が終わり、やがて一人になり、充実の余韻にひたる中で、ふと心に大きな隙間があり、風が吹き抜けていきます。
「なんだこれは!」
こんなに充実しているのに、この虚無感はなぜ?
そこに親しくしていた彼女が去り、高校でのコーラス仲間が死亡し、中学からの吹奏楽での仲間も。
2人とも、私が音楽の道に進んだことを喜んでくれて、「初コンサートはぜひ地元でやれ。応援する」と言ってくれた人。
虚無感の心の穴は最大の大きさになったようです。
そういえば、太宰治、三島由紀夫、川端康成。自殺した文豪はその前日まで、ばりばり充実した仕事をやっていた様子。

吹奏楽仲間のマツイは、たまたま帰省した時に訪ねると、潰瘍で入院後の自宅療養中。
「これをやるから読め」と小型聖書をくれました。
それから数ヶ月後に逝ってしまった。
遺品となった聖書を、涙とともにパラパラと読んでいると
「神はその一人子をくださるほどに世を愛された」ということばが、目につきました。
意味はよくわかりません。
でも宇宙と世界をつくられた方が、私を愛して下さっている!
そのとたん、空虚な心の穴に、泉のようにあたたかいものが湧き上がり、穴を満たすどころか、溢れてくる実感がありました。
パスカル言うところの
「神によって作られた人間は、神によってしか満たされることのない空間がある。」
その空間が、満たされた実感でした。

Friday, February 02, 2007

心を満たす神。その仕事

宣教師は心の中心を聖霊が満たしているのに、本人が意識してなかったわけです。
悪霊を追い出る能力があることを自分自身が驚きました。

我が遠縁にも、霊能力がすぐれている人がいます。その師匠はさらに見事です。
他府県で高速道路が建設され、無縁墓が撤去されそうだと聞かされました。
それは何代も前の親族が忘れ去られた悲しみを叫んでいるというのです。
行ってみると、はたして親族らしい名前が刻んでありました。
また他の死んだ親族の迷える魂の状態を克明に教えてくれます。
どんな親族がいるかは、まったく知らせていないにもかかわらず。

我々の話題が出ないので、こちらから聞いたそうです。
「姫路の木下一家はどうでしょうか?」
「何も見えない。バリアーがかかっているみたい」
「クリスチャンファミリーです。」
「なんだ、それでか」
驚きました。
私達本人より、何だかいかがわしい思える霊媒師のほうが、キリストの偉大さを理解している!

守るべき子孫を祟るような祖先。
前に述べたように、ニセものですが、本物とすれば、かなり歪んでいる。
お盆には、地獄の釜のふたが開いて、先祖が帰ってくる。
ということは、葬儀の際の、回向、供養は無駄だったことになります。

怪しげな霊能力者の徐霊は怪しいものです。
もっとひどくなりそう。
人に魂を扱うなどと、そんな力があるわけがないのです。
私も牧師の端くれとして、死者を天国へ導く「とりなしの」祈りをします。
だからといって、それがかなうか否かは随分あやしい。
私の力量ではどうしようもありません。
天国への救いの仕事をしてくれるのはキリストです。
当然それは、完璧です。

死後は神に委ねる以外の方法はありません。
ですので、生きているうちに、険しい顔が優しい顔に変わるのを見たい。
すでに、この世において、天国=神の国の籍を持つのを見たいのです。