Sunday, February 11, 2007

充実の中の虚しさ

70年代前半、私は音楽三昧で、本当に楽しい、充実した時期でした。今だって楽しいですが。
これからは徐々に体が衰え、持病も増えて苦しみながら、人生を終えていくわけです。
でもこの時代の思い出だけで、「楽しい人生だった」と結論づけられそうです。

朝から夜9時10時まで、警備員さんに追い出されるまで、練習のため、学内にいました。
授業は「高い授業料の基とらねば」とあらゆる科に出ました。
声楽科だけの合唱授業にも、男声不足のどさくさで参加して、N響第9に毎年参加しました。
個人練習、仲間と合奏、図書館でレコード鑑賞。
四千人の学生、その八割が女子学生。美人は豊富。
伴奏ピアニストは、本番には、とにかくうまい人。練習ピアニストには、なるべく美人。などど最高に贅沢。
卒業してからも、さらに留学して学びたいと、ドイツ語学校に通う。そこで他の分野の方々との交流も楽しかった。
演奏の機会もたびたびあり、それなりの出来で良い評価をもらって、この上ない充実感に満たされた日々でした。

でも大きな喝采をもらった演奏会が終わり、やがて一人になり、充実の余韻にひたる中で、ふと心に大きな隙間があり、風が吹き抜けていきます。
「なんだこれは!」
こんなに充実しているのに、この虚無感はなぜ?
そこに親しくしていた彼女が去り、高校でのコーラス仲間が死亡し、中学からの吹奏楽での仲間も。
2人とも、私が音楽の道に進んだことを喜んでくれて、「初コンサートはぜひ地元でやれ。応援する」と言ってくれた人。
虚無感の心の穴は最大の大きさになったようです。
そういえば、太宰治、三島由紀夫、川端康成。自殺した文豪はその前日まで、ばりばり充実した仕事をやっていた様子。

吹奏楽仲間のマツイは、たまたま帰省した時に訪ねると、潰瘍で入院後の自宅療養中。
「これをやるから読め」と小型聖書をくれました。
それから数ヶ月後に逝ってしまった。
遺品となった聖書を、涙とともにパラパラと読んでいると
「神はその一人子をくださるほどに世を愛された」ということばが、目につきました。
意味はよくわかりません。
でも宇宙と世界をつくられた方が、私を愛して下さっている!
そのとたん、空虚な心の穴に、泉のようにあたたかいものが湧き上がり、穴を満たすどころか、溢れてくる実感がありました。
パスカル言うところの
「神によって作られた人間は、神によってしか満たされることのない空間がある。」
その空間が、満たされた実感でした。

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