Friday, April 11, 2014

4/11 & 4/13 受難週礼拝 美しさへの洞察力

イザヤ53:1-12
ヨハネ18:1-19:42
「美しさへの洞察力」

今日の聖書箇所は大変長く、かつ大切なところであって、ゆっくりと何度も読みます。よって説教は極端に短くしないと、苦しむイエス様を前にゲッセマネのマネをしてしまうおそれがあります。

氷点の作者三浦綾子さんの生身に接したのは、明石での講演会が最初の最後でした。
まずご主人の光世さんが登場しました。
「綾子は大変弱っており、今も舞台袖で伏せています。
最近帯状疱疹を患いました。激痛を伴います。
顔が倍ぐらいに腫れ上がりました。
四谷怪談のお岩さんみたいと言うけど、お岩さんは顔の一部が崩れただけ、綾子は顔全部が崩れている。その苦しみに耐える姿に美しいものを見ました。」
どうですかこの愛妻家の達人。

今日のイエス様の姿は、見るに耐えない残酷にして忌まわしくもこれ以上ない汚さ。
ホーランド師の表現ではエゲツなく「ジーザスはフルチンでクソ、ションベン垂れ流し。鼻水もよだれも垂れ流し、」
エッケホモの画に描かれているのは、美しいイエスの顔。実際はあんなものではない。
でも私たちは信仰の目をもって、画家よりもっと美しいイエス様の十字架の姿をみることができます。優しさを見る事ができます。私のための苦しみだからです。

私が信仰を持った頃、羽鳥明&本田弘慈が2大伝道者でした。
本田先生は、最初からドカンドカンと大笑いをとり、最後に泣かせてしまう話術の名人でした。
泣かせる話としてよく使われたものを紹介します。

花子ちゃんのお母さんの顔は皮膚がひきつってる大きなやけど跡がありました。
花子ちゃんはそれを大変醜いと思い、恥ずかしくて自分の母親とは思いたくありません。
ある日学校に着いてから、大変な忘れ物を思いだして、本当に困ってしまいました。
しばらくしてお母さんが届けてくれたのですが、同級生がこそこそ話しているのを聞いてしまいました。
「今日ねすごい顔をしたおばちゃんが学校に来たけどあれはお化けかな」「おばけだよ」
「お化けだ、お化け」と学校中がその話題で持ち切りとなりました。花子ちゃんは、顔から火の出るような恥ずかしい思いでした。自分の母親とは絶対知られたくないと思いました。
家に帰ってから「おかあさん!恥ずかしいから学校に来ないでよ」
わすれものを届けてもらって助かったのに、恥ずかしい思いのほうが強かったのです。

それを見ていたお父さんが「花子。ちょっとこっちへおいで」
「どうしてお母さんがやけどしたかを話してなかったね。
花子がハイハイしはじめた頃、いつのまにかお鍋に近づき、とってを持って立ち上がろうとしたんだよ。お鍋がひっくり返って熱湯があふれて、お母さんがとっさに抱き上げたけど、熱湯はお母さんの顔にかかってしまったのだよ。でもお母さんは花子がやけどしなくて本当に良かったと喜んだんだ。」
花子ちゃんは外に飛び出して、しばらく号泣しました。
それ以来、「私の一番ステキなお母さんです。私をやけどから守ってくれた」と誰にも誇りをもって紹介しました。
自分に替わってのやけどの跡は美しく見えました。

私の罪の身代わりとして死んでくださったイエスさまの十字架に至る悲惨な姿は、なんと美しいでしょう。