Saturday, September 06, 2014

2014,9,7礼拝より

一昨日、救急車が赤信号に一旦停車してサイレンを鳴らして発進しようとしました。
そこに青信号側の車が、思いっきり飛ばして救急車の鼻先をかすめて通過しました。当然救急車は頭を出して止まっているので見えてます。青の優先性を主張して、事故があればそちらの責任という走り方でした。
免許を持っていれば、信号より緊急自動車が優先であることぐらい知っています。でも日常的に青優先のクセが出て来て、命を危険を犯しているのです。
安全運転の基本である交通ルールを知っていても身についていない、運転技術になっていないことで、命を危険をふりまいています。

さてヤコブ書では、教会において金持ち優先であってはならないと教えています。
他にも困難にもよろこんで立ち向かうとか信仰は行動があってこそ本物と述べています。
ある意味ではヤコブに言われなくても、イエス様の精神からして当然のこととして知っています。しかしそれは知っているだけでは、他宗教や未信者でも立派な人生訓を知っています。生活習慣になってなければ、キリスト教信仰者としての特権はありません。
そして、聖霊の働きにより、生活習慣にまで導くエネルギーがいただけます。


マザーテレサのことば
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

Tuesday, September 02, 2014

2014,9 予定

9/5  金 木下春樹牧師担当 箴言22 マルコ7
 /7  日  木下友子牧師担当 
/12 金 木下春樹牧師担当 マルコ8
/14 日 木下友子牧師担当
/19 金 木下春樹牧師担当 マルコ9
/21 日 木下春樹牧師担当
/26 金 木下春樹牧師担当
/28 日 木下友子牧師担当


Thursday, August 21, 2014

2014年8月22,24礼拝

先日の大阪集会で、メシアニックジューの牧師が、ウケねらいの挨拶
「モーカリマッカ?」
今朝で、百田尚樹著「海賊といわれた男」上下巻を感動もって読み終えました。
出光興産は定年なし、首切り無し、タイムレコーダーなし、組合なし。会社は家族。
「商売は利益追求」と経済学で学んだことに強く反発。家族は金銭より大切。日本に世界に貢献できてこそ会社。
会社に魂が入っている。

かたや西洋かぶれのキンダイ経営は
資本家と労働者は敵対関係という共産主義思想のもとで、CEOが多額の利益を上げても、不況になればリストラ。これがグローバルスタンダード。いかに軽薄か。
今の日本は金銭崇拝教の信者ばかり。
カネを持ってるとエライ、稼いでいるとエライ、見栄張り生活者がエライ。
出光佐三臨終の床で、側近がつぶやきます。
「この人に40年仕えたのに、一度も儲けろということばを聞いた事がない」

「仏を作って魂入れず」
人造物にどうしたら魂が入るのかは疑問だが、我々は神に作られた陶器。自己中心の魂はしっかり入っているが、神の息は拒絶していないだろうか?
ソロモンは神殿を作ったが、「神は地上にお住まいにならず、天の天もお入れする事はできない」と賛美。すると「主の栄光がこの宮に満ちた」神がご臨在を示される。
とかく宗教施設は豪華で大型という、ハッタリで威光を示すもの。
ソロモン神殿は多くの国民が喜んで捧げ、実労した神殿。大変豪華ですが、神をお入れするものではないことをわきまえている。
枠に治まらないほどの偉大さを認識する時、魂=神の臨在があった。

かつて後藤牧人師が「日本の牧師は1%に満たないクリスチャンのために99%のエネルギーを使っている。宣教できるわけがない」と批判された。
クリスチャンはかくあるべきという枠では、神は小さな箱に閉じ込められ栄光を表すことができない。
自営だから、サラリーマンだから。若いから、年だから、男だから、女だから、だからに閉じ込められ、天の天にもお入れすることができない「神のかたち」と息が入った土器である我々。
ブランドで値札をぶらさげなければ、自分の価値が表現されないなら、魂のない土の器。

出光の迫力は、自分の利益のためではないことの信念から出ている。
同時に妥協や先送りや、自己保身ばかりを気にしている官僚や一流会社のエリートたちが、日本と世界を堕落させていることを滑稽に描いているのも、文章がわかりやすく書かれている。
戦後還暦を越えた一個人が、人を大切にすることで、ゼロからスタートして、日本の石油流通を欧米の独占から守り、特に中東の人達の利益を守ることができた。


私たちの体は聖霊の宮として尊厳あり、大切なもであります。
しかし聖霊はこんな体にお入れできるほど貧素なお方ではありません。
ハッタリや大声やいばった姿は自身のない裏返しです。
聖霊をお入れすることができない土の器を認識することで聖霊が臨在してくださいます。
還暦を過ぎてから、ゼロスタートで、我々のような凡人でも、神にお仕えできますよう。
自己中心でなく神と隣人を愛する週でありますよう。



Saturday, August 16, 2014

2014.8.17 礼拝より

百田尚樹著「海賊とよばれた男」をせっせと読んでいます。
1,000人を越える大商店を創業したものの、戦災ですべてを失ったばかりか、「社員は家族」と千人の生活を支えなければならない負担のみが残る。
すでに還暦を越えて引退の時機。
しかし百田は、それを朱夏の単元に入れている。
本来は単なる春夏秋冬を色をつけてもったいぶり、青春、朱夏、白秋、玄冬と呼ぶ。
還暦を越えてからの働きを中心として据えている。
まだ下巻の白秋、玄冬は読んでないものの、クライマックスは巨大タンカーをイランに乗り付け、イギリス海軍や米国石油メジャー相手に渡り合って、世界中をあっと言わせたところらしい。
かれは私利私欲を捨て、社員のために尽力したので、社員の一人一人が、信念を持って、世界紛争の原因である石油流通の多様化を図った。

全国民や世界の人達に貢献することこそ、発展の原動力という信念を社員が持っている。
この商店に比べると、保身ばかりの公務員やエリート揃いの石油大企業社員が既得権を守るのに、さんざん卑劣な手段をとるのが、何とも賎しい。

さて聖書
ダビデはバテシバ事件や悲惨なアブシャロム事件という、いずれも身から出たサビの事件をおこしながらも、イスラエル歴史上最高の王となり君臨した。
有能でも、異性に弱いのと子弟教育がヘタで息子に殺されそうになったダビデ。
その息子なのに、なんとすばらしいソロモンが育ったのはなぜ?
知恵は最高、外交や貿易で豊かな富を国にもたらせた事業家。
神なき富は虚しいこともわかっている哲学者。
自分の富や健康より、民の幸いを常に祈り、神から大いなる祝福を受けたソロモン。
非の打ち所無し! あった。
「妥協家」
彼の正妻は?千人の妻がいるのに、いやいるから、真のパートナーが組めなかった様子。
決してシバの女王ではない。
結婚関係があったかなかったかも記されてない。
周辺の国から政略結婚を持ち込まれ全て応じた。
一度も会ったことのない女性も多かったことだろう。

全てが備わったソロモンだが、幸せだっただろうか。
彼の結論は「若き日に作り主を覚えよ」
ダビデもソロモンも欠陥の多い、ただの罪人であるにも関わらず、基本的に神と人のために尽くして、ちょっとだけ自分のために尽くしたたことが大いなる祝福のもととなった。



Tuesday, July 29, 2014

2014.08 予定

7/31〜8/4 松原湖バイブルキャンプ中高生キャンプ参加
8/01(金)19:30 定期集会 担当木下春樹牧師 サムエル下11章
8/03(日)  休会
8/08(金)19:30  木下春樹牧師担当 サムエル下12章
8/10(日)10:30  木下春樹牧師担当 サムエル下
8/15(金)19:30  木下春樹牧師担当  列王記
8/17(日)10:30  木下春樹牧師担当 〃
8/22(金)19:30  木下春樹牧師担当 列王記
8/24(日)10:30  木下友子牧師担当 〃
8/29(金)19:30  木下春樹牧師担当 雅歌
8/31(日)10:30  木下友子牧師担当 〃
 

<8>
ダビデは幼くしてゴリアテを倒すほどの天才的戦士。王室音楽家
そして戦術家にして国王、政治家としても一級、そして実績。

そのダビデが人生最大の大失敗、バテシバ事件。
神はその大失敗さえ用いて、ダビデを一級の信仰者と成長させる。キリストの家系にすらしてくださる。
ダビデは社会人としては、すでに成功者だが、信仰者としての成長はこれから。
人は偉大になるほど尊大になり謙遜や悔い改めは困難となる。
よってダビデは強烈な罪の誘惑に陥る

我々は実績を重ねた人は勿論、年を取るだけでも、社会からお世辞であっても一目置かれる。
それすなわち、神から自動的に遠くなりやすい。悔い改めや謙遜から遠くなりやすいためである。
「晩節をけがす」事件が世の中いつでも見られる。
ダビデのはずかしい姿は3,000年後の遠い外国にまで伝えられてしまった。

神の霊を中に宿すことにより神の愛の広さ長さ深さ広さを理解し、満ち満ちた姿にまで満たされること。それは5千人に食べさせ、風や自然現象までコントロールできる偉大な力を持っておられるキリストが、だれより謙遜であった姿が、私達の信仰者としての目標である。

Monday, May 05, 2014

2014.5月礼拝予定

5/2  金 19:30 木下春樹担当 福音と復活と力を得る
5/4  日 10:30 〃
5/9  金 19:30木下春樹担当 
5/11日 10:30木下友子担当 ローマ書より
5/16金 19:30木下春樹担当
5/18日 10:30木下友子担当
5/23金 19:30木下春樹担当
5/25日 10:30 〃
5/30金 19:30木下春樹担当 

Friday, April 11, 2014

4/11 & 4/13 受難週礼拝 美しさへの洞察力

イザヤ53:1-12
ヨハネ18:1-19:42
「美しさへの洞察力」

今日の聖書箇所は大変長く、かつ大切なところであって、ゆっくりと何度も読みます。よって説教は極端に短くしないと、苦しむイエス様を前にゲッセマネのマネをしてしまうおそれがあります。

氷点の作者三浦綾子さんの生身に接したのは、明石での講演会が最初の最後でした。
まずご主人の光世さんが登場しました。
「綾子は大変弱っており、今も舞台袖で伏せています。
最近帯状疱疹を患いました。激痛を伴います。
顔が倍ぐらいに腫れ上がりました。
四谷怪談のお岩さんみたいと言うけど、お岩さんは顔の一部が崩れただけ、綾子は顔全部が崩れている。その苦しみに耐える姿に美しいものを見ました。」
どうですかこの愛妻家の達人。

今日のイエス様の姿は、見るに耐えない残酷にして忌まわしくもこれ以上ない汚さ。
ホーランド師の表現ではエゲツなく「ジーザスはフルチンでクソ、ションベン垂れ流し。鼻水もよだれも垂れ流し、」
エッケホモの画に描かれているのは、美しいイエスの顔。実際はあんなものではない。
でも私たちは信仰の目をもって、画家よりもっと美しいイエス様の十字架の姿をみることができます。優しさを見る事ができます。私のための苦しみだからです。

私が信仰を持った頃、羽鳥明&本田弘慈が2大伝道者でした。
本田先生は、最初からドカンドカンと大笑いをとり、最後に泣かせてしまう話術の名人でした。
泣かせる話としてよく使われたものを紹介します。

花子ちゃんのお母さんの顔は皮膚がひきつってる大きなやけど跡がありました。
花子ちゃんはそれを大変醜いと思い、恥ずかしくて自分の母親とは思いたくありません。
ある日学校に着いてから、大変な忘れ物を思いだして、本当に困ってしまいました。
しばらくしてお母さんが届けてくれたのですが、同級生がこそこそ話しているのを聞いてしまいました。
「今日ねすごい顔をしたおばちゃんが学校に来たけどあれはお化けかな」「おばけだよ」
「お化けだ、お化け」と学校中がその話題で持ち切りとなりました。花子ちゃんは、顔から火の出るような恥ずかしい思いでした。自分の母親とは絶対知られたくないと思いました。
家に帰ってから「おかあさん!恥ずかしいから学校に来ないでよ」
わすれものを届けてもらって助かったのに、恥ずかしい思いのほうが強かったのです。

それを見ていたお父さんが「花子。ちょっとこっちへおいで」
「どうしてお母さんがやけどしたかを話してなかったね。
花子がハイハイしはじめた頃、いつのまにかお鍋に近づき、とってを持って立ち上がろうとしたんだよ。お鍋がひっくり返って熱湯があふれて、お母さんがとっさに抱き上げたけど、熱湯はお母さんの顔にかかってしまったのだよ。でもお母さんは花子がやけどしなくて本当に良かったと喜んだんだ。」
花子ちゃんは外に飛び出して、しばらく号泣しました。
それ以来、「私の一番ステキなお母さんです。私をやけどから守ってくれた」と誰にも誇りをもって紹介しました。
自分に替わってのやけどの跡は美しく見えました。

私の罪の身代わりとして死んでくださったイエスさまの十字架に至る悲惨な姿は、なんと美しいでしょう。






Tuesday, March 18, 2014

2014,3,21&23 礼拝より


民21:7 燃える蛇を作り旗ざおの上につけよ。かまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。
ヨハ3:14  モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。

 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。


エジプトの奴隷から、神の民としての自由人になろうとする時。敵もさるもの、巧妙な妨害をしかけてくる。
エジプト側のスパイが世論操作をして、それを真に受け手先になるイスラエルの民が増え、さしもの神の計画が破綻するかと思われた時、神の対処は単純すぎるものであった。
毒蛇がスパイと同調者を倒すというもの。
でも中には悔い改める者がいるし、蛇にとっては善人も悪人もない。
青銅の蛇を見上げる。この単純な行為は、神とモーゼを信じる証しである。たったそれだけ。何ら罰則なく精進努力も不要。
十字架を見上げる。それは神とイエス様の愛を受け入れる証し。
それだけで永遠のいのち?罪の罰もなく精進努力もない。単純すぎて、かえって信じられない。

昔、脚気は大変恐ろしい病であった。それが米を麥にするだけで簡単に治る、でも単純すぎて信じられず、相変わらず死ぬ人が多過ぎた。それも学識と権威が高い人ほど厄介だった。
現代の難病、癌も減食とお風呂だけで治る説がある。半信半疑。
マックスゲルソン、日野原重明、江部康二、南雲吉則ら天才的医師達は、これを実践して、驚異的若さを保っている。


信じないものは、すでに裁かれている。その結果は、生きる目的と喜びがわからない。